かしこの坂

和歌山県海南市下津町引尾

石上乙麻呂卿、土佐の国に配さゆる時の歌

父君に 我れは愛子ぞ 母刀自に 我れは愛子ぞ 参ゐ上る 八十氏人の 手向けする

恐の坂に 幣奉り 我れはぞ追へる 遠き土佐道を  巻6−1022

藤原宇合の未亡人と通じたとして土佐へ配流される石上乙麻呂の歌、

真土山からこの「恐(かしこ)の坂」を通り、大崎の港へと向う道程である。

ここ、海南市下津町引尾近くをその街道が通るという。下津町百垣内から吉備町田角に越える賢峠(かしこ)を比定する。

街道沿いになるこの立神神社は、写真のように大きな磐座を神体とする。

乙麻呂はこの磐座にも幣を奉ったのだろうか。

万葉歌碑が神社境内にある。

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立神神社を訪ねたとき、私の滋賀ナンバーの車を見て神社宮司の船橋さんから声をかけていただいた。

この神社の古文書によれば、織田信長が安土城にいた頃、この立神神社の宮司として船橋某という方が東江州から赴任したという。

滋賀ナンバーに郷愁を感じて声をかけたとのこと。

神社の由緒記や万葉歌碑の建立記録やいろいろの資料をお見せいただき、話が弾みました。

また、船橋さんのお父さんは私と同じ大学卒とか、これも奇遇でした。

資料も頂戴いたしました。ありがとうございました。是非ルーツを求めて滋賀にお越しください。

今はみかん狩りがいそがしくて・・・と云っておられましたが。

下津町のみかんはとても美味しい、帰りに買求めました。

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ところで、申し訳ない私見だが、

石上乙麻呂が通過した恐の坂はどうもこの地では納得しかねる。

下津町大崎の港に向うには遠回りで、吉備町に抜けることはないと思う。

やはり、もっと海岸沿いに海南市の藤白辺りを越えるのがルートではないだろうか。

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