真土山

橋本市隅田町

大宝元年辛丑の秋の九月に、太上天皇、紀伊の国に幸す時の歌

あさもよし 紀伊人羨しも 真土山 行き来と見らむ 紀伊人羨しも  巻1−55

真土山は、奈良県と和歌山県の県境にある100bあまりの小山であるが、

万葉のころは大和から出て異郷の紀伊に入るという特別な感慨があったのだろう。

この歌は持統天皇が紀伊の国へ行幸した時の歌であるが、

従駕した調首淡海が「うらやましいなぁ、いつも真土山を見られる紀伊の人は」と詠う。

私は新幹線で富士山を見るといつも「静岡の人はいいなぁ」と思う。それと同じ想い?

海を見たことがない大和の人が和歌の浦で海を見、白浜で温泉に入って一杯やる、

そんな楽しい旅の始まりに、この真土山が、私の富士山のように見えたのかもしれない。

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後れたる人の歌

あさもよし 紀伊へ行く君が 真土山 越ゆらむ今日ぞ 雨な降りそね  巻9−1680

現在の国道の真土峠は真土山の北側を通るが、当時は少し南を通っていた。

古道が残り、「万葉の古道」と称して保存されている。

この歌は、持統天皇と文武天皇が紀伊の国へ行幸の時の歌、

「後れたる人」とは旅に出ず家で待つ奥さんのこと。

雨よふらないで・・・という心やさしい気持ちが嬉しい。

社長の出張に鞄持ちで随行した夫を思い遣る歌である。

ご主人の海外出張で、「私のバッグと化粧品忘れないで」という現在の奥さんとはちょっと違う。

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白栲に にほふ真土の 山川に 我が馬なづむ 家恋ふらしも  巻7−1192

古道はこの真土の川(現在の落合川)で国境となる。

手前に渡れば紀伊の国。割れ目のある大きな石を飛び越える。「飛び越え石」と名づく。

「馬なづむ」と詠う。

もちろん家も恋しくなったのだろうけど、この石を飛び越えるのは馬も大変。

足を滑らせば川に落ちる。馬なづむである。

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神亀元年甲子の冬の十月に、紀伊の国に幸す時に、従駕の人に贈らむために娘子に誂へらえて作る歌

君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ

 あさもよし 紀伊道に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 

草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあるらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が

行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど たわや女の 我が身にしあれば 道守の 問はむ答を 言ひやらむ

すべを知らにと 立ちてつまづく  巻4−543

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上の歌は、聖武天皇の紀伊行幸に従駕した夫のことを想った妻の歌、

旅の解放感で私など忘れているでしょうという。

「出張、出張って、あなたはいいわね、知らぬ土地で美味しいもの食べて、観光して、

私はいつも愛犬のGooと留守番ばっかり」っていうどこかの妻に似ている。

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下の歌は違う。厳しい。

石上乙麻呂は「たわや女の惑ひによりて」土佐配流になった。

この真土山を越えれば二度と大和に戻れないかもしれない。

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石上乙麻呂卿、土佐の国に配さゆる時の歌

石上 布留の命は たわや女の 惑ひによりて 馬じもの 綱取り付け 鹿じもの 弓矢囲みて

 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣 真土山より 帰り来ぬかも  巻6−1019

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『続日本紀』に、

「天平十一年三月二十八日、石上朝臣乙麻呂は、

女官の久米連若売を犯したという罪に関わって、土佐国に配流され、若売も下総国に流された。」とある。

乙麻呂は、左大臣麻呂の第三子、女官の久米連若売とは、天平九年に没した藤原宇合の妻である。

女官とあるのは、寡婦となって宮中に出任していたのであろう。

当時、宮人と私通する罪は死罪といわれるが、勲位あるものは減ぜられることもあったという。

二人は和姦として両者が東西に配流されたということであろうか。

時は、宇合ら藤原四兄弟が流行病で相次いで没し、代って橘諸兄が政権を掌握したばかりの頃で、

乙麻呂も物部氏の嫡流であり諸兄派であろうに、

政敵藤原宇合の未亡人に手を出して罪を受けるという政治的にややこしい思惑が感じられる。

というのも、巻6−1019の次歌1020に乙麻呂の妻が詠む長歌があり、

「我が背の君を・・・速けく帰したまはねもとの国辺に」と道中の安全と早い帰還を祈っている。

女房公認の浮気なのか、それとも政治の裏で蠢く陰謀なのか。

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小生、ちょっとこういう話に興味を持ち過ぎ。

乙麻呂は、天平十六年九月十五日に西海道使に任じられていて、罪は許されている。若売の消息は不詳。

未亡人とはいえ、人のものに手をださないこと。

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のんびりと一人旅の僧もいた。真土山を越えて紀ノ川の河原で旅寝。

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弁基が歌一首

真土山 夕越え行きて 廬前の 角太川原に ひとりかも寝む  巻3−298

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