野 島

和歌山県御坊市名田町野島

中皇命、紀伊の温泉に往す時の御歌

我が欲りし 野島は見せつ 底深き 阿胡根の浦の 玉ぞ拾はぬ  巻1−12

右は、山上億良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「天皇の御製歌云々」といふ。

御坊市名田町に野島はある。

島ではなく海岸線に突き出た岬で、この辺りになると太平洋の荒波を直に受けるのだろう、荒削りの断崖である。

紀伊の湯までは30`余、陸路を行ったものか、海路なのかは不詳。

この歌は日本書紀斉明天皇四年十月の紀伊の湯への旅途中のもので、有間皇子の変も重なり、「岩代」辺りを陸路進んだものだろう。

万葉歌碑・・・野島が見える国道42号線脇にある。

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「中皇命」とはどなたのこと?「中皇命」とは、中継の女帝を指す普通名詞といわれる。

左註は天皇の御製歌かと云っているが、万葉集編集のころには既にこの歌がどなたの歌か不詳であったということ。

斉明天皇四年の紀伊の湯行幸の時、斉明天皇自らが歌ったという説を採る。

他に、孝徳天皇の皇后間人皇女、天智天皇の皇后倭姫王などの説がある。

天皇であれば「往す時の御歌」とは云わず、「幸す時の御製歌」というであろうとの説。

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