『万葉集』には渡来系といわれる人々の歌が詠まれている。
はたして、万葉集の歌人たちに「渡来歌人」という区分けが必要なのかどうか、ほんとうのところはよく分からない。
『万葉集』そのものが日本の倭歌を集めたものとすれば、
それは日本人による日本人の心を詠った歌集であるといえるのだろう。
学者によっては、初期万葉の歌が詠まれた時代背景は、七世紀中葉、あたかも
朝鮮半島動乱で、百済・高句麗の滅亡、新羅統一の後、多くの渡来人たちがこの国にやってきたとし、
その移入された半島や中国の文化が、万葉集に大きな影響を持ったと説く。
まるで渡来人たちが万葉歌を先導したかのような説すらある。
なかには、額田王、山上億良、柿本人麻呂・・・みんな渡来系の人たちなんだからという。
ほんまかなという疑問も持つけど、学者じゃないからよく分からない。でもちょっと興ざめすら感じる。
ひとまず、どんな人たちが万葉集の渡来歌人だろうとまとめてみた。
基本的は、『新撰姓氏録』の諸蕃といわれるグループの人たちだろうと区分したのだが。
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渡来歌人といわれる彼らの万葉歌と、『続日本紀』などによる人となりを紹介しよう。
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万葉の頃も、あきらかに区分された氏族であったことは事実である。それが差別用語であったことも事実であろう。
なかには、200年も300年も前に渡ってきた秦氏や漢氏のような大氏族も諸蕃に区分されている。
差別用語といったが、渡来を誇りとする、出自を自慢する氏族だったかもしれない。
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万葉の頃(奈良時代)、政治・経済・文化あらゆる分野で活躍する渡来人たちが多い。
大寺を建てる建築技術だって、先進の医術や医薬だって、仏教・仏教美術の世界にだって、
日本の国家形成に大きな力となってくれた人たちが渡来人であることは間違いがない。
だけど、
『万葉集』に、渡来人たちの歌は詠まれてはいるけど、
それが朝鮮半島の文化に先導された歌集なんてとても思いたくない。
やまとのことばで、五・七調で詠まれた万葉歌、どこにも半島の言葉の匂いなどない。
きれいな倭ことばで詠いあげた万葉歌、それは日本のずっとずっと古来からのことばの綴りなんだと思う。
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渡来の人たちは、
はやく日本になじみ、あるいははやく日本人として再出発しようという思いで、
やまとことばを学び、美しいやまとことばで、万葉歌を詠んだと思う。
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『新撰姓氏録』序文に
とある。
渡来の人たち、蕃と称せられることにはやはり抵抗があったのだろう。日本の姓名が欲しいとたびたび朝廷に願い出た。
渡来して百年以上も経て、来日三世・四世なのにいまだに蕃といわれる区分に不満もあった。
もうすっかり日本人なのに・・・。
現代社会にもいえることのようだが。