()()()()()()薛妙観(せちめうくわん)

 

    先太上天皇の御製 霍公鳥の歌一首

  ほととぎす なほも鳴かなむ 本つ人 懸けつつもとな 我を音し泣くも   巻20−4437 

    薛妙観、詔に応へて和へまつる歌一首

  ほととぎす ここに近くを 来鳴きてよ 過ぎなむ後に 験あらめやも   巻20−4438

    天平元年の班田の時に、使の葛城王、山背の国より薛妙観命婦等の所に贈る歌一首

  あかねさす 昼は田賜びて ぬばたまの 夜のいとまに 摘める芹これ   巻20−4455

    薛妙観命婦が報へ贈る歌一首

  ますらをと 思へるものを 大刀佩きて 可爾波の田居に 芹ぞ摘みける   巻20−4456

芹の花

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大宝律令の撰定に参画して禄を賜ったという薩弘恪の記事がある。唐からの渡来人である。

薩妙観は同族か。

『日本書紀』持統天皇三年(689)六月の条に、「大唐の續守言・薩弘恪等に稲を賜ふ。各差有り。」

『日本書紀』持統天皇五年(691)九月の条に、「音博士の續守言・薩弘恪、書博士百済末士善信に、銀、人ごとに二十両賜ふ。」

『日本書紀』持統天皇六年(692)十二月の条に、「音博士續守言・薩弘恪に水田賜ふ。人ごとに四町。」

『続日本紀』文武天皇四年(700)六月の条に、

「浄大参刑部親王、直広壱藤原朝臣不比等、・・・中略・・・、勤大壱薩弘恪・・・等に勅して、律令を撰ひ定めしめたまふ。録賜ふこと各差有り。」

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『続日本紀』養老七年(723)正月の条に、「薩妙観に従五位上」

『続日本紀』神亀元年(724)五月の条に、「従五位上薩妙観に姓を河上忌寸と賜ふ」

『続日本紀』天平九年(737)二月の条に、「従五位上河上忌寸妙観に正五位下」

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『日本書紀』、『続日本紀』は「薩」とし、『万葉集』は「薛」とするが、薛の異体字が薩に似ているための誤写で、本来の姓は「薛」と考えられる。

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