()()()()()()()()()()()()()()()()()刀理宣令(とりのせんりやう)

    

    土理宣令が歌一首

  み吉野の 滝の白波 知らねども 語りし継げば いにしへ思ほゆ   巻3−313

    刀理宣令が歌一首

  もののふの 石瀬の杜の ほととぎす 今も鳴かぬか 山の常蔭に   巻8−1470

磐瀬の杜  奈良県生駒郡三郷町立野

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『続日本紀』の養老五年(721)の正月の条に、

「・・・略・・・ 刀利宣令らに詔して、退朝の後、東宮に侍らしめたまふ」とある。

土理宣令も刀理宣令も刀利宣令も、みんな同じ人のことだ。ややこしい。

東宮は皇太子首親王のこと、後の聖武天皇で、刀利宣令らは皇太子の教育係ということだろう。

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『懐風藻』に、「正六位上伊予掾 享年五十九歳」として、詩二首がある。

  秋日於長王宅宴新羅客 一首

    玉燭調秋序    玉燭 秋序を調べ

    金風扇月幃    金風 月幃を扇ぐ

    新知未幾日    新知 未だ幾日ならず

    送別何依々    送別 何ぞ依々たる

    山際愁雲断    山際 愁雲断え

    人前楽緒稀    人前 楽緒稀なり

    相顧鳴鹿爵    相顧る 鳴鹿の爵

    相送使人帰    相送る 使人の帰るを

  賀五八年 一首

    縦賞青春日    縦賞す 青春の日

    相期白髪年    相期す 白髪の年

    清生百万聖    清は百万に聖を生み

    岳出半千賢    岳は半千に賢を出す

    下宴当時宅    宴を下す 当時の宅

    披雲楽広天    雲を披く 楽広の天

    茲時尽清素    茲の時 尽く清素

    何用子雲玄    何んぞ子雲が玄を用ゐむ

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『続日本紀』天平宝字五年(761)三月の条に、「百済の人刀利甲斐麻呂ら七人に丘上連」とあり、刀利一族が百済の渡来系と分かる。

ただし、『新撰姓氏録』に丘上連は見えない。

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万葉集 渡来人 刀理宣令 (刀利宣令 土理宣令)

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