()()()()()()()()()()()()()()雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)

 

    佐婆の海中にしてたちまちに逆風に遭ひ、漲ぎらふ浪に漂流す。経宿の後に、幸くして順風を得、豊前の国の下毛の郡の分間の浦に到着す。

    ここに艱難を追ひて怛みし、悽惆びて作る歌八首

  大君の 命畏み 大船の 行きのまにまに 宿りするかも   巻15−3644

      右の一首は雪宅麻呂

・・・・・

天平八年(736)の遣新羅使人たちの歌群145首のひとつであるが、

一行は佐婆の海中(周防灘・防府市沖)で大嵐に遭い、分間の浦(大分県中津市の海岸)にようやく漂着したときの歌である。

雪宅麻呂は、雪連宅満とも記されている。

・・・

雪連とは、壱岐連(伊支連、伊吉連とも)のことである。『懐風藻』に、本文は「伊支連」とあるを、目録には「雪連」とある。

『新撰姓氏録』には、

左京諸蕃上に、「伊吉連 出自長安人、劉家楊雍也」とあり、右京諸蕃上にも、「伊吉連 長安人、劉家楊雍之後也」とある。

・・・

ところが、雪連宅満は新羅への往路、壱岐島で病死する。その挽歌長歌三首と短歌六歌があり、挽歌九首の構成は万葉集中異例である。

・・・

    壱岐の島に至りて、雪連宅満のたちまちに鬼病に遇ひて死去にし時に作る歌

  天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の 斎ひ待たねか 正身かも 過ちしけむ 帰りまさむと たらちねの 母に申して

  時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の

  荒き島根に 宿りする君  巻15−3688

     反歌二首

  石田野に 宿りする君 家人の いづらと我れを 問はばいかに言はむ  巻15−3689

  世間は 常かくのみと 別れぬる 君にやもとな 我が恋ひ行かむ   巻15−3690

     右の三首は挽歌

  天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまに 月日も来経ぬ

  雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手濡れて 幸くしも あるらむごとく 出で見

  つつ 待つらむものを 世間の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花 仮廬に葺きて 雲離れ 

  遠き国辺の 露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ   巻15−3691

      反歌二首

  はしけやし 妻も子どもも 高々に 待つらむ君や 山隠れぬる   巻15−3692

  黄葉の 散りなむ山に 宿りぬる 君を待つらむ 人し悲しも   巻15−3693

      右の三首は葛井連子老が作る挽歌

  わたつみの 畏き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪なく行かむと 壱岐の海人部の ほつての占部を 肩焼きて 行かむと

  するに 夢のごと 道の空道に 別れする君   巻15−3694

      反歌二首

  昔より 言ひけることの 韓国の からくもここに 別れするかも   巻15−3695

  新羅へか 家にか帰る 壱岐の島 行かむたどきも 思ひかねつも   巻15−3696

      右の三首は六鯖が作る挽歌

・・・・・

長崎県の壱岐島には、亡くなった雪連宅満の墓があり、今も地元の村人たちに墓は守られている。

近くの万葉公園(石田町城の辻)には、次の挽歌の歌碑がある。

  石田野に 宿りする君 家人の いづらと我れを 問はばいかに言はむ   巻15−3689

 

・・・

渡来歌人一覧に戻る

万葉集を携えて

万葉集 渡来人 雪連宅満

inserted by FC2 system