鍋冠祭り

滋賀県米原市筑摩 5月3日

むかし、男、女のまだ世へずと覚えたるが、人の御もとにしのびてもの聞えてのち、ほどへて、

近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋のかず見

『伊勢物語』 第百二十段


平安時代の『伊勢物語』にも登場する「筑摩の鍋冠祭り」、1200年の伝統があるという。

もちろん本日の主役は子供たち、武者姿は勇ましい、神鏡人姿はきれい、ですよ。

お祭は2時にお旅所を出発して筑摩神社までの約1`を練り歩く。

行列は、神官と猿田彦(先導の神様)を先頭に、じいさんが持つ幡・桙、若い兄ちゃんの太鼓山、蹴り奴、獅子舞、などと続くがあまり人だかりは見られない。
見物の人やカメラマンはお目当ての子どもたちの行列を待つ。

男児は母衣武者ほろむしゃ、顔には勇ましく鬚などを塗る。背中に背負う母衣はお父さんが持ち役。お父さんは羽織・袴の正装、お母さんもきれいになって盛装、親子でたいへんだ。出発早々母親の胸で眠ってしまった武者もいる。

ちょっと大きなお兄ちゃんとお姉ちゃんは、神木や箱持ちや鏡持ちの役割を担う。君らも主役やで。

それでもやっぱり「鍋冠祭り」の主役はこの8人の狩衣姿かりぎぬの女の子。

みんなべっぴんさんやで!5才から10才の女の子が鍋と釜をかぶって主役を演じる。鍋4人、釜4人ということだがその違いはよくわからない。底に突起があるのが釜かな。
先頭の女の子は5才、やっぱり一番に疲れてしまった。小休止にはもう眠くって眠くって、目をこすっていたがついにこっくり始めてしまった。お疲れさまやね。

ところでこの祭り、なぜ鍋釜をかぶるのかというと、

合田一道『日本の奇祭』を参考

「氏子の女性が褥を重ねた男性の数だけ鍋をかぶって神輿に従う」というのだ。遊女でもあるまいにと思うがその昔は少々男女の関係に対しておおらかであったのかもしれない。逆に、いつの時代か風紀の乱れを戒めようとした厳しい掟だったかもしれない。江戸時代、ある女がそれを守らず鍋の数を減らして頭に載せ行列に加わったところ、神罰が当って鍋が破れて落ち、村人の笑い者になった。女は恥ずかしさのあまり、宮の池に飛び込んで死んでしまった。これを知った藩主井伊の殿様は「不幸な者を見せしめにするような祭りは神の心ではない」と中止させた。村人は伝統の祭りが絶えるのはさびしいと願い出て、以来、数え年八つの幼女にすることで許しが出て、現在に引継がれているのである。現在ではこのような醜い男女の関係を表現するものではないが、それでもそばには羽織袴の男衆(可愛い稚児のお父さん)が竹の棒を持って警護している。「いや、なに、鍋が落ちるといかんでな」

・・・
時代とともに祭りの姿は変った。今のこの可愛い稚児たちにはまったく関係のない謂れで、鍋をかぶるという風習だけが引継がれている。その仕草がとても可愛くて、いつまでも続けてほしい伝統のお祭りだ。

冒頭の伊勢物語の歌は、こんなことを歌っていると思う。

(まだ男を知らない清純な女と思っていたが、誰かいい男と密かに関係していることを知ってしまって、「なんやねん、オレには見向きもしないくせに、誰かとええ関係やて。近江の筑摩の祭りを早よしてほしいわ。オレには冷たい女の、鍋の数、見たいもんや。」)

・・・
行列の先頭では、退屈そうにじ〜じの桙持ちが琵琶湖を見つめながら休憩をとっていた。
見物人もカメラマンも、誰あれもいない。

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