蓬莱に聞かばや伊勢の初便り

芭蕉は、正月二十九日付曲翠宛書簡に、

「<伊勢に知る人音づれて便りうれしき>と詠み侍る慈鎮和尚の歌より<便り>の一字を窺ひ候。其心を加へたるにては

無御座、唯神風や伊勢のあたり、清浄の心を初春に打ちさそひたるまでに御座候」と自解。

慈鎮の「この頃は伊勢に知る人音づれて便りうれしき花柑子かな」から「伊勢の便り」を生かし、「初」を加えて新春に合わせた。

・・・・・

句碑は、長浜市港町の慶雲館前庭にある。日本一大きい句碑とのこと。

慶雲館

 

明治二十年(1887)二月二十一日、明治天皇・昭憲皇太后の御休憩所として、長浜の豪商浅見又蔵が私財を投じて建設した。

命名は、同行した初代内閣総理大臣伊藤博文である。

約六千平米の広大な敷地内には、総檜造りの秀麗な本館や茶室などが整備され、以後も長浜の迎賓館として使われてきた。

毎年初春に「長浜盆梅展」の会場になる。

・・・

力士像

明治時代後期の大横綱である常陸山谷右衛門の石像。

日露戦争のころ相撲界は「梅ヶ谷常陸山時代」を迎え、空前の黄金期に沸き、両国国技館竣工の原因となった。

希にみる教養人として「角聖」とよばれた。

この常陸山を贔屓にしたのが慶雲館の生みの親浅井又蔵である。

・・・・・・・

近江の芭蕉 句碑を訪ねる 長浜 慶雲館

一覧表に戻る

万葉集を携えて

inserted by FC2 system