延暦寺 東塔
滋賀県大津市比叡山
 
大津市坂本からケーブルで延暦寺駅に着くと、眼下にこんなにきれいな琵琶湖が望める。
 
 
東塔
 
延暦寺発祥の地(伝教大師最澄が延暦寺を開いた所)
 
・・・
 
根本中堂
 
 
根本中堂は、延暦寺の総本堂で、本尊は薬師如来である。
 
最澄が延暦七年(788)に創建した一乗止観院が元であり、現在の堂は徳川家光が寛永十九年に再建したもの。
 
本尊の前には、1200年余灯り続けている「不滅の法灯」が安置されている。
 
 
 
BS朝日「延暦寺」より借用
 
・・・
 
根本中堂前に、宮沢賢治の歌碑
 
 
ねがはくは妙法如来正知大師のみ旨成らしめたまへ
 
・・・
 
大講堂
 
 
本尊は大日如来で、左右に比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られている。
 
・・・
 
鐘楼
 
 
・・・
 
文殊楼
 
 
坂本から延暦寺をめざして歩いて登ってくると、この楼門のような文殊堂に着く。山門の役割を兼ねているのだろう。
 
慈覚大師円仁が、中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものであるが、江戸時代再建のもの。
 
・・・
 
戒壇院
 
 
・・・
 
阿弥陀堂
 
 
・・・
 
東塔
 
 
・・・・・
 
法然堂
 
法然上人(幼名・勢至丸)15才のとき、戒壇院で戒を受け、得度し、修行した地が、この法然堂の地。
 
 
  
法然堂からの眺望
 
この美しい琵琶湖を毎朝毎夕、法然は見ていた。
 
 
・・・・・
 
無動寺参道を下る。
 
 
無動寺・明王堂
 
回峰行の根本道場で、不動明王を祀る。
 
  
早春、梅のつぼみもふくらんだ。その向こうに琵琶湖が霞む。
 
 

明王堂傍らに、開祖相応和尚(そうおうかしょう)の像が立つ。回峯行姿である。

相応和尚

 

北嶺行門始祖 相応和尚

孝徳天皇の末裔で、天長八年(831)近江国に生まれる。十五才のとき比叡山に登って、伝教大師の高弟慈覚大師円仁に仕え、

止観遮那両行の学門を尽く収め、宗祖の遺訓にもとづく山のおきてに従い、籠山十二年の修行をを始め苦修練行、薬師如来の夢の

お告げによって霊感をうけ、比叡山三塔の諸峰を巡拝して鎮護国家万民豊楽を祈り、北嶺回峰行の基礎を打ち立てた。

たびたび宮中に招かれ参内し、天皇・皇后をはじめ、高官の病を加持し、郷に民衆の災難消除を祈祷、霊験は顕著なものであった。

今に伝えられる回峰大行満の土足参内の儀は、この相応和尚の先駆に習って行われている。

貞観七年には無動寺を建立して不動明王を祀り、回峰行の根本道場としたので建立大師ともいう。

最澄の伝教大師、円仁の慈覚大師の諡号は相応和尚の奏請したものである。

延喜十八年(918)十一月三日、西方に向かって念仏を唱えながら夜半従容として入寂した。

このとき、紫の雲が叡南の峰にたなびき、異香は全山に満ちて、山上の僧も山下の郷民も父を失ったように悲しみに号泣したと

和尚伝は伝えている。ときに八十八才であった。

・・・

親鸞聖人御修業旧跡

大乗院

 
ここは、親鸞の旧跡とあるが、慈円の旧跡でもある。
 
・・・・・
 
『拾玉集』(慈円)に、
 

  円位上人無動寺へ登て、大乗院の放出(はなちで)(うみ)を見やりて 

にほてるや()ぎたる(あさ)に見わたせば漕ぎ(ゆく)跡の浪だにもなし 

  (かへ)りなんとて、(あした)の事にて(ほど)もありしに、「今は歌と申ことは思絶えたれど、結句をばこれにてこそつかうまつるべかりけれ」とて

 

詠みたりしかば、ただに過ぎがたくて和し侍し

ほのぼのと近江(あふみ)の海を漕ぐ舟の跡なき(かた)(ゆく)心かな

・・・

文治五年七、八月頃、西行(円位上人は西行の法名)が比叡山に慈円を訪ねたときの贈答歌である。

西行は起請して詠歌を絶った後であったが、大乗院の景観に感動してあえて一首を詠み、慈円もこれに和したのである。

・・・・・・・

近江の寺一覧に戻る

万葉集を携えて

inserted by FC2 system