本福寺
大津市堅田1丁目
 
 
浄土真宗本願寺派の寺である。浄土真宗中興の祖蓮如が、寛正六年(1465)比叡山衆徒のよる大谷本願寺の破却に遭い、やむなく堅田に逃げてこの本福寺に身を寄せたという。「本願寺旧跡」といわれる。

芭蕉

芭蕉はこの本福寺住持(俳号・千那)と親交が深かった。芭蕉がこの大津に来るきっかけになったのはその住持の案内があったからといわれる。
元禄3年9月13日〜25日、芭蕉はこの堅田に滞在をしたが、「拙者散々風引き候而、蜑
あまの苫屋に旅寝を侘び」と26日付の書簡にある。
その旅先で病む孤独感を、近江八景のひとつ「堅田落雁」に即しつつ、落雁に託して発句した。

  (びやう)(がん)()(さむ)に落ちて旅寝(かな)

境内には住持はじめ芭蕉門下の句碑が並ぶ。上の句の碑も境内にある。が、この句碑は芭蕉真筆と云われ、大切にされているのだろう、境内でも本堂裏の御厨近くの庭園にある。
 

境内の句碑

芭蕉句碑
 
「本福寺中世記録」

蓮如に第三代住持が帰依したことから、この堅田が蓮如の布教活動の拠点となったが、第四代、第五代の手になる文書が残る。
室町時代後期の堅田や近江の真宗教団の動向はじめ、堅田衆による海上交通の掌握や門徒衆の商業活動など、堅田集落の情報を得る根本史料である。

私の友人橋本さんは、この堅田の海上交通をテーマに卒論をまとめた。この文書が重要な参考史料である。
ある日仲間みんなでこの本福寺を訪ねた。彼女はしばらく本堂前にある蔵に佇んでいた。もちろん文書はこの中にはなく、今は大津歴史博物館に納められているのだが。
彼女はこの蔵に向かって手を合わせた、「卒論がうまく書けますように・・・」と。
寺では本尊に手を合わす人は多いは、蔵に手を合わす人はめずらしい。
・・・
後日、無事卒業した彼女はお礼の参拝をしたと聞く。
 

蔵を覗く仲間

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万葉集を携えて

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