石塔寺
滋賀県東近江市石塔町
 

宝阿育王宝塔

寺伝に、「釈迦入滅百年後、印度の阿育王が仏法を深く帰依し、八万四千の塔を造り、仏舎利を納めて世界に撒き給う。日本に二基来るうち一基は琵琶湖中にあり、一基は当山に埋まれたり。……」
山門には、「阿育王山」と山号が掲げられている。
阿育王とは、前三世紀頃、インドのマガダ国に君臨したマウリア王朝第三世の王で、インドを統一、仏教を保護宣布、世界的宗教とし、第三回の仏典結集を行なったという。
「本朝高僧伝」によると、当寺は聖徳太子が建立した近江四八ヶ寺にうち最後に建てられた寺で、当初成就寺と号したが、一条天皇の代に石塔が出土し、現寺名に改めたという。
本堂でお参りを済ませ、脇の長い石段を登り詰めると、高さ約7.5bの石造三重塔が現れる。
石塔は、朝鮮半島の層塔の系譜を引くものとされ、ことに百済定林寺址塔と類似しているといわれる。この地蒲生郡は、天智天皇八年(669年)百済の人、鬼室集斯ら700人余が移り住んだ(日本書紀)とあり、百済系渡来人の造立といわれる。
その後、境内には数多くの石塔が建立され、寺の資料には八万4千に及ぶという。また、この石仏・石塔の9割以上が15〜17世紀に建立されたものという。
 
山門本堂
 
石塔への石段境内八万四千といわれる石仏石塔

韓国の扶余と慶州を訪ねた。定林寺址の石塔をはじめ、慶州の仏国寺と博物館の石塔を写真に収めてきた。石塔寺の塔が一番素朴な塔のように思う。でも類似性は疑う余地がない。やはり、百済の人が造ったものであろう。

石塔寺(左前から)石塔寺(右前から)
  
扶余(百済)・定林寺址慶州(新羅)・仏国寺

九州・鹿児島県に同形の石塔があるので紹介しよう。ただ、年代が後世になるのか。
隼人塚
大隈国分寺跡・石塔

隼人塚 鹿児島県姶良郡隼人町見次
反乱を起して征伐された熊襲、隼人族の慰霊塚といわれてきたが、平安時代後期の仏教遺跡の可能性が高い。

大隈国分寺跡・石塔 鹿児島県国分市中央石塔には、「康治元年壬戊11月6日」の銘があり、1142年のものである。
 
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韓国を旅するとこんな風景があちこちで見られる。これは慶州・南山寺。

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