『和泉式部日記』 石山参籠
 
 
あはれにはかなく、頼むべくもなきかやうのはかなしごとに、世の中をなぐさめてあるも、うち思へばあさましう、かかるほどに八月にもなりぬれば、つれづれもなぐさめむとて、石山にまうでて、七日ばかりもあらんとてまうでぬ。
 
宮、久しうもなりぬるかな、とおぼして、御文つかはすに、童「ひと日まかりてさぶらひしかば、石山になん、このごろおはしますなる」と申さすれば、「さは、けふは暮れぬ。つとめて、まかれ」とて、御文書かせ給ひて、たまはせて、石山に行きたれば、仏の御前にはあらで、古里のみ恋しくて、かかるありきもひきかへたる身のありさま、と思ふに、いともの悲しうて、まめやかに仏を念じたてまつるほどに、高欄の下の方に、人のけはひのすれば、あやしくて、見下ろしたれば、この童なり。
 
あはれに、思ひがけぬ所に来たれば、「なにぞ」と問はすれば、御文さし出でたるも、つねよりもふとひきあけて見れば、「いと心深う入り給ひにけるをなん。など、かくなん、ともののたまはせざりけん。ほだしまでこそおぼさざらめ、おくらかし給ふ、心憂く」とて、
 
「関越えてけふぞ問ふとや人は知る 思ひ絶えせぬ心づかひを
 
いつか、出でさせ給ふ」とあり。近うてだに、いとおぼつかなくなし給ふに、かくわざとたづね給へる、をかしうて、
 
「あふみぢは忘れぬめりと見しものを 関うち越えて問ふ人やたれ
 
いつか、とのたまはせたるは、おぼろけに思ひたまへいりにしかは。
 
山ながらうくはうくとも都へは いつかうち出の浜は見るべき」
 
ときこえたれば、「苦しくとも行け」とて、「問ふ人とか。あさましの御もの言ひや。
 
たづね行くあふ坂山のかひもなく おぼめくばかり忘るべしやは
 
まことや、
 
うきによりひたやごもりと思ふとも あふみのうみはうち出てを見よ
 
憂きたびごとに、とこそ言ふなれ」とのたまはせたれば、ただかく、
 
関山のせきとめられぬ涙こそ あふみのうみとながれ出づらめ
 
とて、端に、
 
こころみにおのが心もこころみむ いざ都へと来てさそひみよ
 
思ひもかけぬに、行くものにもがな、とおぼせど、いかでかは。
 
 
かかるほどに出でにけり。「さそひみよ、とありしを、いそぎ出で給ひにければなん。
 
あさましや法の山路に入りさして 都の方へたれさそひけん」
 
御返し、ただかくなむ。
 
山を出でて冥きみちにぞたどりこし 今ひとたびのあふことにより

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