鶏足寺・十一面観音
滋賀県木之本町古橋

與志漏神社

渡岸寺から北東に5`程で木之本町古橋に着く。道幅の狭い集落で、郷中に與志漏神社がある。96年4月に訪れているから7年前のこと。当時は神社の追っかけで、ここに鶏足寺や石道寺が昔あったこと、山岳仏教の聖地であったことなどを知ったが見過ごしてしまっていた。
奈良時代から平安時代にかけ、己高山を中心に山岳信仰が隆盛したが、時代が移り、鶏足寺など殆どが廃寺となった。この十一面観音も麓の寺を転々としていたが、ようやく與志漏神社境内の「己高閣」という蔵に安置され、安住の地を得た。

檜の一本造りで、丈172a。平安時代の作といわれる。国の重要文化財に指定されている。
彩色が剥落していて、宝冠も失っているという。
里人に守られながらも、あちこちを転々とした歳月の厳しさが伺える。
先刻拝した渡岸寺の十一面観音に比べると、妖艶さは感じられない。渡岸寺の観音は、お臍を出し、腰のくびれも艶かしくあったが、ここ鶏足寺の観音はどっしりした怒り肩で、頼もしく感じる。
井上靖も、「モデルは村の内儀さん」と評したという。
地元の伝承では、延暦十八年(799)、行基を慕って己高山に入山した最澄が、雪に残る鶏の足跡をたどるうち、足跡は池を三回りして消え、池の中から仏頭が浮かんだ。喜んだ最澄は、この仏頭に合わせて自ら刻んだ像を本尊として建立したのが鶏足寺という。
私たちを案内してくれたおじさんは、「首のあたりが少し不自然」と説明してくれた。
「己高閣」の隣りには「世代閣」という戸岩寺の諸仏を安置する蔵もある。「薬師如来」「魚籃観音」など多数の仏が安置されていた。
また、この地古橋は、石田光成の母の出生地という。関が原で敗れた光成が古橋に逃れてきたが、他の村から養子にきた男に密告され捕まってしまった。古橋では、永い間よその村からの養子はとらなかったという。
 
重文・薬師如来重文・魚籃観音

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