関寺の牛塔 長安寺宝塔

滋賀県大津市逢坂

白州正子「近江山河抄」逢坂越 からの抜粋

蝉丸神社の下社「関清水明神」から少し下がった所に、「牛塔うしとう」と呼ばれる大きな石塔が建っている。このあたりは昔、関寺(世喜寺とも書く)のあった所で、来歴がはっきりしないのは、関の神社に付随する神宮寺であったのだろう。草創の時、天竺の雪山(ヒマラヤ)から、牛乳を将来し、金鶏の香合に入れて納めたので、牛塔と名づけ、そこを鶏坂とも呼んだという。が、もともと牛とは縁のある塔で、恵心僧都が関寺を再興した時、迦葉仏が白牛に化身して手伝い、工事の終了とともに死んだ、その牛を弔うために造ったともいわれている。もとはと言えば、材木の運搬に使役した牛を、信心ぶかい人が、迦葉仏の化身だと夢に見て、いいふらしたにすぎないが、藤原道長や頼通まで、拝みに来るという騒ぎであった。ただそれだけの話とはいえ、こんな美しい塔が建ったことは、それこそ嘘から出たまことといえるであろう。石塔寺の三重の塔にはまだ朝鮮の影響が見られたが、この宝塔は完全に和様化され、力強い中に暖かみが感じられる。淡海の国のもう一つの枕言葉を「石走る」というのも、石に恵まれていたことの形容かもしれない。

石塔説明板には

重要文化財 長安寺宝塔 一基

この宝塔は、高さ3.3bで八角形の基礎石に巨大なつぼ型の塔身をおき、笠石をつけたもので、鎌倉時代の初期につくられた日本を代表する石造宝塔です。………

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