滋賀県大津市滋賀里
万葉集(巻2−115)にも、この崇福寺に関連する歌が読まれている。 穂積皇子に勅して、近江の志賀の山寺に遣はす時に、但馬皇女の作らす歌一首 後れ居て 恋ひつつあらずは 追ひ及かむ 道の隈みに 標結へ我が背 この歌に続いて、巻2−116には「但馬皇女、高市皇子の宮に在す時に、竊かに穂積皇子に接ひ、事すでに形はれて……」とあり、不倫というのか三角関係というのか大胆な恋の歌である。穂積皇子は持統天皇の信頼厚く、この噂を耳にした天皇は勅使に事寄せて、穂積皇子を一時崇福寺に幽閉させ、太政大臣高市皇子との立場を繕ったといわれている。 『今昔物語集』 「天智天皇、建志賀寺語」 |