(車道)

市辺押磐皇子墓

東近江市市辺町

この古墳二基は、明治八年(1875)教部省によって市辺押磐皇子(磐坂皇子)、帳内佐伯部売輪(仲子)の墓に治定され、

現在は宮内庁書陵部の管轄下にある。  いちのへのおしはのみこ   とねりさへきべのうるわ

東側の古墳は、墳丘の直径15m、高さ3.5m、西側の古墳は直径6.5m、高さ1.9mを測り、

ともに横穴式石室を有する円墳で、古墳時代後期に築造されたと推測される。

『日本書紀』によると、

安康天皇三年(455)に天皇が暗殺された後に、有力皇子たちの抗争が続き、允恭天皇の子大泊瀬皇子は、

履中天皇の子市辺押磐皇子を、近江の来田綿の蚊屋野に誘い出して殺害し即位する(雄略天皇)。

市辺押磐皇子の二遺児、億計(兄)と弘計(弟)は雄略天皇の追及を逃れて播磨に潜伏するが、

やがて都に上り、顕宗(弟)、仁賢(兄)天皇となる。

顕宗天皇のとき、狭狭城山君倭の妹置目の記憶により、市辺押磐皇子及び帳内佐伯部売輪の遺骨が発見され、

この蚊屋野の地に二つの墓が築かれたという。

これらの記事から、この二つの古墳が、市辺押磐皇子と帳内佐伯部売輪の墓と定められた。

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東近江 市辺押磐皇子墓

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