芹川 けやき道

彦根市芹川沿い

彦根城築城のとき、城下の町を整備するためと灌漑のため、城近くを流れていた芹川を、南の方の現在の流れに移設した。

そのとき、城下の町人・農民総出で堤防を築いた。そして、堤防を強固にするため、けやきの木を植樹した。

それから350余年を経て、けやきの木はこんなに巨木になった。

その350年、芹川は一度も決壊したことがないという。

彦根八景にも選ばれた「芹川 けやき道」、

堤は遊歩道となり、ここに集う人々を静かに見守っていてくれる。

 

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彦根市役所が発行した『彦根市史 上冊』(昭和35年)に、

彦根城築城前の「彦根古絵図」

芹川(地図では世理川)は、後三条村と安清の辺りから北に向かい、外町村・里根村・彦根村を流れ、

彦根山の東、東北辺りで琵琶湖に流れ出ている。この彦根山に城が築かれることになる。

今風にいえば、芹川に架るJRの鉄橋辺りから、安清町・JR彦根駅の方に流れ、彦根球場辺りに流れ出たということだろうか。

地図の川面・出口辺りに、「御城下御普請ノ節コノ川ヲ附替へ給フ」と記されている。

地図を見ると、後三条村の分岐点に細い支流の川が琵琶湖に向かい、「和川ト云フ」とある。

これが現在の芹川になったのであろう。

この和川の川幅が広げられ、土堤が造られ、そして「けやき」が植樹された。

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彦根 芹川 けやき道

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