萩の玉川

草津市野路

『千載和歌集』に、

あすも来ん 野路の玉川 萩こえて 色なる波に 月やどりけり    源俊頼朝臣

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案内板 「古き宿駅 野路駅の名残り」 に、

野路の地名はすでに平安時代末期にみえ、『平家物語』をはじめ、多くの紀行文に登場している。

鎌倉時代には、源頼朝が上洛に際し野路の地での逗留がみえるなど、宿駅として武将の戦略拠点ともなり、

また、瀬田川沿いを宇治方面へ抜ける迂回路の分岐点にもあたり、交通の要衝として重視されていた。さらに、

ここ野路の地に、十禅寺川と東海道が交わる辺りには、日本六玉川のひとつとして古くから歌枕に詠まれた名勝がある。

先に挙げた『千載和歌集』源俊頼の歌である。

萩の名勝として近世には、『近江名所図会』や歌川広重の浮世絵にも紹介されている。

しかし、この野路も、草津が宿駅として栄えるとともに、交通上の位置は次第に低下していくのである。

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「萩の玉川」

十禅寺川の伏流水が清らかな泉となって湧き出でて、あたり一面に咲きにおう萩とあいまって

その優美な風情は旅人のしばし憩いの場となった。

この史跡、旧東海道沿いの草津市野路にある。私は自転車で行ける。

今は3月、秋にはここにいっぱいの萩花が咲くのだろうか。

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ところで、この玉川にこんな話が残る。

ずいぶん昔のことだけど、

正月十五日に、伊勢の五十鈴川の水で小豆粥を作ることが御所での例になっていた。

伊勢の神域の水は尊く、小豆がよく煮えた。

ところがある年、京都を出た使者は、瀬田の唐橋を渡って野路に来たとき、

あまりに美しい玉川の水に目を奪われ、伊勢に行かなくても、この水を持ち帰ればお役目は済むものと、

玉川の水を五十鈴川の水と偽って御所に奉ったところ、小豆は煮えなかった。

使者は取り調べを受け、遠流の刑に処せられた。

あの玉川の水さえきれいでなかったら、こんな憂き目を見ずにすんだと後悔し、玉川の水を汚れたものにしてやるといったので、

それ以来、玉川は濁ってしまったという。

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草津 萩の玉川

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