矢 倉
草津市矢倉
矢倉立場
旧東海道を草津市野路から矢倉へ入ると、「右やばせ道」と刻した石の道標に出会う。
ここから北に進むと草津宿、ここは昔の矢倉村、矢倉立場があった。
立場とは、宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた名で、
矢倉村のこの地には、草津名物の「うばがもち」を売る店があった。
歌川広重の「草津宿」には、旅人が立ち寄って、うばがもちを賞味する光景が描かれている。
また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋の渡し」の渡し場である矢橋港へ続く矢橋道が分岐していた。今もその道標が立つ。
旅人は、俗謡に「瀬田に廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の姥が餅」と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て
矢橋港から舟で大津へ渡るかを思案した。そしてこの地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚諺「急がば廻れ」の語源になったところでもある。
武士のやばせの舟ははやくとも急がば廻れ瀬田の長橋 (醒睡笑)
と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用することより、回り道でも瀬田橋まわりの方が
着実であることから、成果を急ぐなら遠回りしても着実な方法をとる方が良いことを指南したものである。
写真・道標には、
「右 やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」
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うばがもち屋
広重の草津宿に姥が餅屋が描かれているが、そうするとこの絵は矢倉立場のということになる。
現在の「うばが餅屋」は国道1号線の草津市大路2丁目にあるが、これは明治以降に移転したもの。この角が旧地である。
現在の姥が餅屋
創業が永禄年間(1558〜1569)というから、400年余の歴史を刻む。すごい。
この姥が餅の形、乳母の乳房に似せたというから発祥のいわれにもつながる。
考案した姥84歳のころに、家康がここに立ち寄り「これが姥が餅か」と問うたという。その後、芭蕉も蕪村も食べたと伝わる。
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