守山宿

守山市守山

本陣推定地

この場所は本陣(小宮山九右衛門)があったと推定されている場所である。

文久元年(1861)十月二十二日、十四代将軍徳川家茂に降嫁される皇女和宮親子内親王が御所から江戸城へ向かう旅程で、

この本陣に宿泊された。

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井戸跡

この井戸は、天保四年(1833)の宿場絵図に記載されている井戸で、現存しているのはこの一基だけ。

守山宿は、野洲川の旧川道が作った自然堤防という微高地のため用水路がなく、宿場の防水や、生活用水に使用された。

この井戸、守山宿の往時の生活を知る貴重な資料である。

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中山道 街道文化交流館

明治初期の町家で、現在もお住まいの民家である。

守山宿界隈の情報発信の場として、いろんな資料がいただける。

管理人が常駐していて、「お茶でもどうぞ」と声をかけてくれた。

稲妻型屋敷割り

家屋の軒が直線上に並んでおらず、一戸毎に建物の一端が道路から二尺ほど奥斜めに建てられている。

治安維持等の役割があるとされている。

宿場の西の分岐点にある道標

この道標が立つところは、かつての掟書などが掲げられた高札場の一角だあった。

道標には、

中山道側の側面に、「右 中山道 并 美濃路」、その左側には、「左 錦織寺 四十五丁 こ乃者満ミち」

左の道を行くと、錦織寺(現野洲市にある)に至る約4kmとあり、

「こ乃者満ミち」は「このはまみち」と読む。よくこれだけ、ひらかな・かたかな混じりの、万葉仮名のような漢字で表現したものだ。

木浜道のことで、琵琶湖の津としてにぎわった木浜港に通ずる道である。

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宿場の東の分岐点にある道標

「すぐいしべ道」 「高野郷新善光寺道」

これは中山道ではなく、東海道石部宿への道である。

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