都賀山 醴泉
守山市泉町
『日本書紀』持統天皇七年十一月、
己亥に、沙門法員・善往・真義等を遣して、試に近江国の益須郡の醴泉を飮服ましめたまふ。
さらに、八年三月、
己亥に、詔して曰はく、「粤に七年の歳次癸巳を以て、醴泉、近江国の益須郡の都賀山に涌く。
諸の疾病人、益須寺に停宿りて、療め差ゆる者衆し。
故に水田四町・布六十端入れよ。益須郡の今年の調役・雑徭原し除めよ。国司の頭より目に至るまでに、位一階進めしむ。
其の初めて醴泉を験する者葛野羽衝・百済土羅羅女に、人ごとに二匹・布十端・鍬十口賜ふ」とのたまふ。
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守山市泉町の交差点に、「悠久の醴泉」がある。
由来碑には次のように刻されている。
今から千三百年ほど昔、持統天皇七年(693)十一月、この近江国益須郡の都賀山に醴泉が出たといわれました。
都賀山とは、よい水(吉水)が涌く所で、今の泉町、守山町あたりだったといわれています。
天皇はこの地に醴泉(味のよい泉)が涌き出ることを聞かれ、それをしらべるために、法員・善往・真義などの僧を派遣されました。
翌八年の三月、「醴泉、益須郡の都賀山に涌く」と詔書を出され、それからはいろいろの病人が益須寺に宿泊して治療をしました。
そして、この醴泉を発見した葛野羽衝と百済土羅羅女に二匹と布十端を賜ったと、『日本書紀』に記録されています。
以上の記録は、実にわが国の療養施設最初のものであり、これが民営であったことに注目すべきです。
わが国の社会福祉事業が守山から始まったともいえるでしょう。
こうした貴重な歴史を後世に伝えるためにもこの地に建立したものです。
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