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源兵衛の首 蓮如上人
大津市小関町
三井寺と小関町との間に、恐ろしげな道標が立つ。
まず、小関道という石標の横に、

「蓮如上人御旧跡」という石標の側面に、「かたたげんべゑのくび 等正寺」とある。
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そして、この交差点からもう少し三井寺に向かうと、三井寺観音堂入口にある両願寺の前に、

「かたたげんべゑくびのてら」とある。
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堅田源兵衛の首については、堅田の光徳寺という寺が有名で、光徳寺の境内には、

このような親子の銅像まである。
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「堅田源兵衛親子」
蓮如上人は比叡山延暦寺衆徒から親鸞聖人の真影(木像)を守るため、比叡山と対立する三井寺にその真影を預けた。
その後、文明十二年(1480)山科本願寺が建立されて、いよいよ預けた真影を戻そうと門徒衆が三井寺を訪ねた。
ところが三井寺は「真影を戻したければ、人間の生首二つ持ってこい」という難題を持ち出した。これを聞いた蓮如上人は日夜心を痛めた。
光徳寺の門徒で、源右衛門、源兵衛という漁師の親子がいた。
この難題を聞いたふたりは、自らの首を差し出すことと決意した。
「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし。師主知識の恩徳も、ほねをくだきても謝すべし(恩徳讃)」の決意である。
父源右衛門は息子源兵衛の首を持ち三井寺に出向いたが、「いまひとつ、首が足りない」と詰め寄る。
もとより覚悟の源右衛門は「いまひとつは、このわしの首を取ってくれ」。
三井寺は、親子の殉教心に感じ入り、真影と源兵衛の首を返してくれた。
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源兵衛の首の話は以上であるが、
もちろんその堅田の光徳寺には源兵衛の首が埋葬されているが、
ここ等正寺にも減兵衛の首があるという。さらに両願寺にも減兵衛の首があるという。
源兵衛の首が三つある。
さて、どの首が本物の源兵衛の首なのだろうか。
いずれの寺も、「うちが本物」とおっしゃってるそうだ。
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大津 蓮如上人 源兵衛の首