源内峠製鉄遺跡

大津市瀬田南大萱

源内道

近江国庁(跡)から東方に続く源内道は、ここ源内峠を越えて、信楽に通じる道で、

さらには奈良に続く道、奈良時代の奈良街道である。

瀬田丘陵の中で、残された数少ない歴史的遺産のひとつである。

また、飛鳥〜平安初期まで、この源内峠付近で、国営の製鉄所が営まれていて、その遺跡は国の遺跡指定を受ける。

発掘された4号製鉄炉跡

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製鉄炉が復元されている。

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この峠を下ると、南の方角に田上山の山系が見える。

田上山は、『万葉集』にも詠まれた山で、「藤原の宮に役民の作る歌」に、

石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまてを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ ・・・

と詠まれ、藤原京造営などのために木材が伐りだされたため、はげ山になってしまったといわれている。

ところが、異説があって、

実は、田上山がはげ山になったのは、製鉄用薪の伐採だったというのだ。

この源内遺跡のような製鉄遺跡がこの湖南地方には多数見つかっている。

古代には、1tの鉄を造るのに200?以上の薪炭が必要だったという。

田上山が荒れたのは、建築用木材の伐りだしだけではなく、薪炭用の樹木伐採が大きな原因だったというのだ。

鉄は武器だけではなく、農具としても活用されており、

近江国の農業は都をささえる大稲作地帯であり、この製鉄農具の威力を大いに発揮したと想像できる。

田上山がはげ山になってしまうほどに、農具を造ってしまった。反省!

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2012・02・09 ↓

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大津 源内製鉄遺跡

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万葉集を携えて

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