花登筐 石碑

大津市なぎさ公園

なぎさ公園の大津市民会館・バス停付近に、石碑が立つ。

「泣くは人生 笑うは修業 勝つは根性」

花登筐

昭和三年、大津市上北国町に生まれる。

青雲の頃より演劇を志し、人間座の結成に参加、のち文芸座を創立す。

同志社大学卒業と同時に船場商社に入社するも、病を得て退社、のち商社での体験が演劇に花開く。

民間放送の開始とともに、その才能を見い出され、喜劇への道に向かう。

テレビ作品「番頭はんと丁稚どん」「やりくりアパート」でテレビ作家として頭角を現し、

演劇、テレビ、小説など広範囲な作家活動に入り、その傍ら上方喜劇人を育成す。

船場・土性っ骨、ぼてじゃこ物語、細うで繁盛記、ぬかるみの女、どてらい男、鮎のうた等の作品で独特の境地を開く。

三十年間に亘り、執筆した脚本六千本は前人未到のものであり、この間に、

芸術祭文部大臣特別奨励賞、大阪府芸術賞、芸術祭大臣賞、滋賀県ブルーレイク賞を受ける。

「人を喜ばす芝居を・・・」との信念のもとに、劇団(喜劇)を主宰する。以後、脚本演出も手掛け劇作家としても名声を博す。

昭和五十八年八月、京都南座での「あかんたれ総集編」演出が最後となる。

昭和五十八年十月、肺ガンのため逝去、死の二日前までペンを握っていたと伝え聞く。享年五十六。

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