真野の入江
大津市真野4丁目
うづら鳴く 真野の入江の はまかぜに 尾花なみよる 秋のゆふぐれ 源俊頼 金葉和歌集
真野の入江(説明文に)
真野の入江は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて詠まれた和歌にしばしばあらわれ、
尾花を連想させる地として都の人々に知られていた。
また、京都から大原、伊香立を経て真野に出て、陸路の西近江を、あるいは湖上を北国へ湖東へと、
旅立つ交通の要衝でもあった。
真野の入江からの船出のありさまは、謡曲『竹生島』の中で、竹生島参詣へ向かう大宮人の、
「真野の入江の舟呼ばひ、いざさし寄せて言問はん」の一節からもうかがわれる。
こうした入江も時を経て埋もれ、江戸時代にはすでに田地となっていた。
かつて入江は、この石碑の立つ辺りまで入りこんでいたと伝えられている。
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現在の真野浜には、東岸の守山との湖上に琵琶湖大橋が架る。
琵琶湖大橋の上から真野の浜を見ると、こんな風景だ。
今でもかなり深い入江だけれど、源俊頼の頃の真野の入江は、もっともっと山手の方で、
この石碑があるところは現在の湖岸から4〜500mはあろう。
湖岸と石碑の間には、住宅がひろがり、国道が走り、JR湖西線が走り、大きなショッピングセンターもあり、パチンコ屋もあり、
ここが古代・中世のころは、琵琶湖の一部だったという面影はまったくない。
湖岸の船着場は道の駅にもなっていて、現在も交通の要衝であることは変わらない。
道の駅で休憩すると、こんな風景が望める。
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『万葉集』に、「真野」と詠われる歌が数首ある。
多くの学者は、万葉の真野は神戸市長田区の「真野」というけれど、すべての歌ではないが一部の歌が、
「いや、滋賀の真野浦のことやで」という学者もおられ、私もこの滋賀真野説に賛同したい。
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「万葉の旅・真野」、ご覧ください。
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大津 真野の入江