近江国庁跡
大津市大江3丁目・6丁目
近江国庁跡(近江国衙跡)
国庁は、律令という中国の法律制度にならって天皇を中心とする統一国家を作ろうとしたころに、全国68ヶ所にそれぞれ設置された役所で、
近江国庁は、奈良時代前半に置かれ、平安時代後半まで存続したと考えられる。ここでは、都から派遣された国司(現在の知事のような役職)
を中心として、徴税・裁判・軍事など今でいう県庁・警察署・裁判所・税務署として近江国の統治と都との連絡にあたっていた。
国庁は、前殿・後殿と東西の脇殿という建物を中心に、門や築地などからなり、東西2町(約216m)南北3町(約324m)の区画をいう。
また、外側には9町(約972m)四方の広がりをもつ規格化された街路が広がっている。これを国府といい、役所の所在する市街地にあたるものである。
近江国庁は、日本で初めて古代の地方政治の中心地である国庁の全容が明らかになった遺跡である。
「木製外装基壇」遺構
国庁の東側の区域には、築地塀で囲まれた区画があり、その中の中心的な建物がこの場所に建てられていた。
発掘調査で確認された建物基壇の痕跡から推定すると、東西23.9m南北13.3mの範囲に土を積み上げ、その周りに板を立て並べて、
建物の基壇を築くという、全国的にも類例の少ない工法が用いられている。
この「木製外装基壇」の上に、瓦葺きの大型建物が建てられていたようである。
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近江国庁跡