坂本城  明智光秀

大津市坂本

明智光秀は、北国道(西近江路)と湖上交通との要衝にあたるこの地に、元亀三年坂本城を築いた。

この城は琵琶湖を臨む典型的な水城で、しかも築城に造詣の深い光秀だけに、城は豪壮華麗で、安土城に次ぐ名城といわれていた。

ここで光秀は近江滋賀郡を支配し、民政は行届いていたという。

その後、光秀は丹波を平定し、天正五年ころから亀山城を築き、その城下町が現在の亀岡市の基礎となった。

さらに、天正七年ころ横山城を攻めたあと、城の大改造を行い、明智にちなんで福智山と名づけ、後に福知山城となった。

いまも福知山踊りには、光秀を偲ぶ歌がうたわれているという。

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湖岸の城址に、光秀の像が立つ。

個人的にはこのような像は好きでない。あくまで彫刻家のイメージであり、実像とはまったく関係ないのだから。

像などなくて、自分自身でこの地に立って、遠い昔を偲ぶ方がずっといいのに・・・。

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湖岸に立つが、ここに豪壮な城があったとはまったく想像できない。

ここも、兵ものどもの夢に跡だ。

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近くの国道沿いに、「明智塚」

明智塚

この地は、明智光秀の坂本城の城内であると推定されている。

塚の由来については、坂本城落城の際に、光秀の脇差名刀の郷義弘並びに宝器物を埋めた跡とも

明智一族の墓所であるとも伝えられている。

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さらに国道を南に行くと、「志津ヶ池」

志津ヶ池

三津浜のひとつ志津に二ヶ所の霊水があったと伝えられている。

この霊水は四ツ谷の南端にある清水で、志津ヶ池と千原の清水といい、

明智光秀が坂本城で茶の湯を催したとき使用したと伝えられる。

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