北村季吟
野洲市北
野洲市北という集落は、江戸時代の国文学者北村季吟の生まれた地である。
北の自治会館前には句碑が立っている。
祇王井にとけてや民もやすごほり
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句碑の傍らの説明文に、
漢方医であった北村宗龍の孫、北村季吟は江戸時代の「おとなしい学者」いわば「静かな愛国心」をもった国文学者でありました。
寛永元年(1624)、この地に生まれ、師松永貞徳のもとで、『土佐日記』『大和物語』『伊勢物語』『源氏物語』『枕草子』『万葉集』などを
こつこつと注釈しました。いわば、古典教養の普及につくされたのであります。
元禄二年(1689)、幕府にはじめて歌書を修め、詠歌のことを掌る歌学方が設けられたとき、幕府によばれ我子湖春とともに江戸に下りました。
季吟、まさに66才でありました。
儒学一辺倒の幕府と朝廷との間になごやかな空気を交流させるとともに、松尾芭蕉などの有名な弟子を数多く育て、82才で生涯を閉じました。
この碑に刻まれた句は、
「祇王のおかげで掘られたさらさらと流れる祇王井川を、涸水に悩んだ野洲の民が田用水として使い、心安らかに暮らすことができるであろう」
ということであります。
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季吟は野洲市の誇り、今風にいえば名誉市民のような人物だ。
野洲市文化ホールの前には、季吟の銅像が立つ。
それだけではない。野洲の子どもたちには、
大きくなったら北村季吟のようになるんだという夢を抱かせようと、
生誕地北村の近くの祇王小学校には、「季吟少年像」が立っている。
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野洲市永原の菅原神社には、季吟の歌碑も立つ。
神がきや ここも北野の 名にし負はば 栄ふる梅の 影もかはらじ
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季吟著に、
『徒然草文段抄』『源氏物語湖月抄』『枕草子春曙抄』『八代集抄』『万葉集集穂抄』などがある。
この一連の書物により、一般庶民も日本の古典を読めるようになったという功績は大きい。
あの本居宣長も、古典を学ぶために手にした書物はこの季吟の著である。
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東京・台東区池之端の正慶寺に季吟の墓があり、墓石の側面には辞世の句が刻まれている。
花を見つ 郭公をも まち出でつ この世後の おもふ事なき
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野洲市の名誉市民は、『平家物語』に登場する白拍子祇王と、この北村季吟なのである。
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野洲 北村季吟