大岩山古墳群
野洲市小篠原
銅鐸出土地
弥生時代の特色のある遺物である銅鐸が、
この付近の地において、24個という日本でもっとも数多く出土している、
釣鐘の形をした青銅器で、水稲農業のはじまった当時の、楽器や祭器等であると考えられるが、
その正確な使用法を解明する遺跡として重要視される。
大岩山古墳群がある大岩山の中腹から、
明治14年(1881)に14個、
昭和37年(1962)、東海道新幹線建設のための工事現場から、10個、
合計24個の銅鐸が出土した。この中には、日本最大の銅鐸もある。
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近くには弥生人が住んでいて、その竪穴住居や高床倉庫が見られる。
ほんとは、ここは「弥生の森歴史公園」で、隣接して「銅鐸博物館」がある。
発見された24個の銅鐸を中心に、この辺りで出土した数多くの遺物を展示している。
でもその多くは複製である。
とはいえ、素人にはそれが本物か複製かも分らない精巧なもので、「銅鐸観たぞ!」と十分満足できるものである。
私の部屋には40年近く前にこの博物館で買い求めた、「銅鐸」と「神獣鏡」のレプリカが飾られているが、
40年間、たばこの煙と埃にまみれて、いよいよ本物と見分けがつかないほどに貫録をつけている。
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銅鐸博物館の敷地内に、
宮山二号墳
大岩山から北へのびる尾根の東に位置するこの古墳は、1962年の銅鐸発見の契機となった土取り中に発見された。
墳丘は、直径15m、高さ3.5mの円墳で、玄室と羨道をもつ横穴式石室は南南西に開いている。
入口の両側には四段に石が積まれ、
玄室内には花崗岩を組み合わせた石棺が安置され、棺の底石には側石を立てるために溝が彫られている。
石室内からは、須恵器や耳飾りが出ている。
この古墳は、大岩山古墳群中最後の古墳で、600年頃に築かれたものと思われる。
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銅鐸博物館から北へ500m、新幹線をこえたところに、
大塚山古墳
標高100mの扇状地に築造されている。
古墳の左奥、新幹線が通過。
保存整備事業に入るまでの古墳は、墳丘の一段目が水田に、二段目が畑に、三段目は樹木が茂り、
周囲の水田は馬蹄形に広がり、西方に次第に低くなっていた。
発掘調査によって、古墳は、円丘部が径57m、高さ8m、造出は長さ8.5mで、周囲へは幅13〜20mの濠が巡り、
5〜10mの外堤をはさんで外側にも幅3m以上の溝が確認できた。
また、葺石、段築、埴輪をもつ5世紀前半の帆立貝形古墳であることがわかった。
北西に張出した造出は、西側が幅22m、東側が幅11mで、二つが東西に横並びとなり、
東側の小さな造出周辺から、円筒埴輪のほか、鶏、船、家、蓋、水鳥などの形象埴輪がまとまって出土した。
墳丘は盛土によって築かれ、墳頂部からは埋葬施設の輪郭を確認した。
墳頂からは、ガラスの小玉やトンボ石、勾玉や刀子形の滑石製模造品、短甲、鉄鏃、須恵器などが出土している。
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