大岩山古墳群
野洲市
野洲市小篠原・辻町・冨波にある古墳群である。
野洲川流域を支配した有力首長墓が、古墳時代初頭から飛鳥時代にかけて、系統的に造墓が確認され、
のちに「安」氏と呼ばれる豪族たちの古墳群だと考えられる。
古墳群は、弥生時代終末の大岩山銅鐸の埋納地とも隣接している。
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・・・冨波エリア・・・
冨波古墳 とば
大岩山丘陵の北西に広がる扇状地に築造されている。
墳丘はすでに削平され、一帯は水田となっていたため、1982年の発掘調査で初めて発見された。
前方後方形の墳丘部は全長約42m、周濠を含めると約52mほどの規模になるが、
墳丘の高さや埋葬施設については明らかではない。
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前方後方墳というあまり見られない古墳、やや興奮ぎみに写真を撮った。大きくて形状がよく分らない。ベンチの上に乗り、背伸びして写真を撮ったが。
下は現場にあった航空写真による全景である。やはり、前方後方墳である。
周濠内では近江地域の特色をもつ古墳時代初頭の甕や、東海地域に特徴的な丹塗り壺の破片が見つかっている。
また、南東側の隅では古墳との関連性が想定される円形周濠墓が確認されている。
冨波古墳は、大岩古墳群の中で最古に位置づけられる一方、出現期の古墳であるため、
弥生時代の周溝墓から古墳への移り変わりを考えるうえでたいへん重要な古墳といえるであろう。
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古冨波山古墳 ことばやま
古墳時代前期(3世紀後半)に築造されたもの。墳丘は直径約30mの円墳とみらえ、現在、盛土が約1.5m残っている。
明治年間に、「陳氏作四神二獣鏡」「吾作三神五獣鏡」「王氏作四神四獣鏡」の銅鏡三面が出土している。
「陳氏作四神二獣鏡」は、木津川市椿井大塚山古墳出土鏡と同じ鋳型で制作されたものである。
「吾作三神五獣鏡」は、洲本市コヤダニ古墳、木津川市椿井大塚山古墳、天理市黒塚古墳、静岡・菊川市上平川大塚古墳
から出土した鏡と同じ鋳型である。
「王氏作四神四獣鏡」は、福岡市老司古墳、天理市黒塚古墳、アメリカ・フリーア美術館蔵と同じ鋳型である。この鏡は、
明治38年、ドイツ・ベルリン博物館に寄贈された。
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亀塚古墳
大岩山丘陵北面に広がる自然堤防上に築造されている。
江戸時代には、後円部の墳丘が亀に似た形から字名に亀塚の名前が生まれた。
現在も、野洲市冨波字亀塚甲が正式な地名らしい。
古くから土が削られ、後円部の墳丘もほとんど残存しない。周濠部分は水田となっているが、幅9mを想定できる。
遺物は、墳丘下段と東側の畑地に多くの土器片の散布が認められた。
平成19年の試掘調査により周濠が発見された。後円部の墳丘は径33m前後で、西へのびる前方部がり、
全長45m以上の帆立貝形または前方後円墳と推察される。
出土した埴輪は、円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪などが認められる。
試掘調査の結果、古墳の形状、埴輪の時期、須恵器などから、古墳時代後期初頭の5世紀後葉〜末頃に造られたと考えられる。
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