宇陀郡 十七座 大一座 小十六座

宇太水分(ウタノミコマリノ)神社 大 月次 新甞
 
惣社水分神社 宇陀市菟田野区上芳野字中山648
祭 神  天水分神 国水分神 速秋津比古大神 天之児屋根命 品陀別命
 
宇太水分神社 宇陀市菟田野区古市場字宇太野245
祭 神  速秋津比古大神 天水分神 国水分神
 
宇太水分神社 宇陀市榛原区下井足字水分山635
祭 神  天水分神 国水分神 天之児屋根命 品陀別命

阿紀(アキノ)神社 鍬靫
 
阿紀神社  宇陀市大宇陀区迫間252
祭 神  天照大神 天手力男命 瓊々杵尊 秋姫命 八意思兼命
由 緒
  天照大神は垂仁天皇の時代に倭姫命を御杖代として美和の諸宮を発し、宇太の阿貴宮に坐して、そこから佐々波多宮に行ったとあり、宇太の阿貴宮が当社とされる。

門僕(カトノ)神社 鍬靫
 
門僕(カドフサ)神社  宇陀郡曽爾村今井467
祭 神  天児屋根命 武甕槌命 経津主命 比賣大神 玉祖命 天手力男命 天宇受売命

丹生(ニフノ)神社 鍬靫
 
丹生神社 宇陀市榛原区雨師字朝原366
祭 神  高?神
由 緒
  境内には「菟田川之朝原傳稱地」の碑が建つ。

  『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年九月
   是に、天皇、甚に悦びたまひて、乃ち此の埴を以て、八十平瓮・天手抉八十枚・厳瓮を造作りて、丹生の川上に陟りて、用て天神地祇を祭りたまふ。則ち彼の菟田川の朝原にして譬へば水沫の如くして、呪り著くる所有り。天皇、又因りて祈ひて曰はく、「吾今当に八十平瓮を以て、水無しに飴を造らむ。飴成らば、吾必ず鋒刃の威を仮らずして、坐ながら天下を平けむ」とのたまふ。乃ち飴を造りたまふ。即ち自づからに成りぬ。又祈ひて曰はく、「吾今当に厳瓮を以て、丹生之川に沈めむ。如し魚大きなり小しと無く、悉に酔ひて流れむこと、譬へば艪フ葉の浮き流るるが猶くあらば、吾必ず能く此の国を定めてむ。如し其れ爾らずは、終して成る所無けむ」とのたまひて、乃ち瓮を川に沈む。其の口、下に向けり。頃ありて、魚皆浮き出でて、水の随に??ふ。時に椎根津彦、見て奏す。天皇大きに喜びたまひて、乃ち丹生の川上の五百箇の真坂樹を抜取にして、諸神を祭ひたまふ。此より始めて厳瓮の置有り。……

御杖(ミツエノ)神社
 
御杖神社 宇陀郡御杖村神末1020
祭 神  久那斗神 八衢比古神 八衢比女神
由 緒
  鎮座地神末は古代の伊賀国名張郡夏見郷に属していたとされ、江戸時代慶長年間に大和国に編入されたという。とすれば、延喜年間に大和国であったかの問題を残す。社名も明治30年に御杖神社と称した。

椋下(ムクモトノ)神社
 
椋下(クラゲ)神社 宇陀市榛原区福地字椋下山1
祭 神  高倉下命
由 緒
  『古事記』『日本書紀』によると、神武天皇の東征の砌、熊野へ到着した時、荒ぶる神の毒気に当って一行の者はみな気を失い、倒れ伏してしまった。この時高倉下命は自分の倉板に突き刺さっていた天の神の下した剣を献上した。その霊威により天皇はたちまち悪神を平らげて中つ国へ兵を進めたとある。この剣はのち石上神宮に祀られたが、高倉下命はこの功により、文武天皇慶雲二年(702)に八咫烏神社と同時に祀られたと伝える。もと福地山(高倉山)の山中に祀られていたが、いつのころか現在地に遷座したとも伝える。

高角(タカツノノ)神社二座 鍬靫
 
高角神社 宇陀市大宇陀区上守道776
祭 神  高倉下命
由 緒
  『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年九月の条に、
   「天皇、彼の菟田の高倉山の巓に陟りて、域の中を瞻望りたまふ。時に、国見丘の上に則ち八十梟帥有り。」
  
  鎮座地が高倉山であるという。境内には「神武天皇聖蹟菟田高倉山顕彰碑」が立つ。
 
高角神社 吉野郡東吉野村杉谷
祭 神  高見明神(鴨建角身命)
由 緒  高見山山頂に鎮座   写真の木々は樹氷です。

八咫烏(ヤタカラスノ)神社 鍬靫
 
八咫烏神社 宇陀市榛原区高塚字八咫烏42
祭 神  建角身命
由 緒
  『続日本紀』慶雲二年九月九日の条に、「八咫烏社を大倭国宇太郡に置きて祭らしむ」とある。創祀のことか。
  
  八咫烏とは、『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年六月の条に、
   天照大神、天皇に訓へまつりて曰はく、「朕今頭八咫烏を遣す。以て郷導としたまへ」とのたまふ。果して頭八咫烏有りて、空より翔び降る。天皇の曰はく、「此の烏の来ること、自づからに祥き夢に叶へり。大きなるかな。赫なるかな。我が皇祖天照大神、以て基業を助け成さむと欲せるか」とのやまふ。是の時に、大伴氏の遠祖日臣命、大来目を帥ゐて、元戎に督将として、山を蹈み啓け行きて、乃ち烏の向ひの尋に、仰ぎ視て追ふ。遂に菟田下県に達る。因りて其の至りましし処を号けて、菟田の穿邑と曰ふ。

味坂(ミソサカノ)比賣命神社
 
味坂比賣命神社 宇陀市榛原区荷坂32
祭 神  味坂比売命

御井(ミイノ)神社
 
御井神社 宇陀市榛原区桧牧字高取9646
祭 神  御井神 天照大神 天児屋根命 水分神
由 緒
  「御井素盞嗚子也 母稲葉八上姫」とある。

  『古事記』上巻の「須佐之男命・根国試練の段」に、
   八上比売は、先の期の如く美刀阿多波志都。故、其の八上比売をば率て来ましつれども、其の嫡妻須世理毘売を畏みて、其の生める子をば、木の俣に刺し挟みて返りき。故、其の子を名づけて木俣神と云ひ、亦の名を御井神と謂ふ。
 
皇太神社本殿左の境内社に石神神社と共に合祀 宇陀市菟田野区平井50
祭 神  御井神(木俣神とも)

岡田(オカタノ)小秦命神社
 
岡田小秦命(オカタノコハタノミコト)神社 宇陀市大宇陀区北和田226
祭 神  天照大神 須佐之男命 品陀別命
由 緒  当社は鳥居を有せず、氏子の家も往昔より門を造らないのを旧慣とするという。

神御子美牟須比(ミワノミコミムスヒ)女命神社
 
神御子美牟須比命神社 宇陀市菟田野区大神字宮ノ谷281
祭 神  神御子美牟須比命
由 緒

  美牟須比は御産霊の假の字で御祖と同義、御祖は即ち生母を称す古語で、神御子は姫蹈鞴五十鈴比賣にしてその生母は勢夜多々良五十姫で、添上郡率川社と同神と考えられる。創祀の年代は不詳なれど、伝説には宇多天皇寛平五年に大神大物主神社の分霊を奉還し三輪社の奥宮という。故に往古より大字名を大神、大上と称す。

  現在でも大神神社鎮花祭の百合根、同社摂社率川神社三枝祭の笹百合を当社からも出しており、古く大神神社とのつながりをうかがわせる。

櫻實(サクラミノ)神社
 
櫻實神社 宇陀市菟田野区佐倉764
祭 神  木花咲耶姫
由 緒
  本殿の近くに、天然記念物「八つ房杉」がある。八本の太い幹が株状に伸びてみごとな杉の木である。当社はこの老杉を神木としてその下に祭祀したと伝える。

劔主(ツルキヌシノ)神社
 
劔主神社 宇陀市大宇陀区宮奥116
祭 神  不詳
 
劔主神社 宇陀市大宇陀区半坂79
祭 神  建速須佐之男命 経津主命 葦原醜男神

室生龍穴(ムロフノリウ穴ノ)神社
 
龍穴神社(善如龍王) 宇陀郡室生村室生1297
祭 神  高?神
由 緒
  当鎮座地は、宇陀川・木津川の上流に位置し、水源に鎮座することから祈雨の神として古来崇敬されてきた。龍穴は水の神竜王がいます穴という意である。

都賀那木(ツカナキノ)神社
 
都賀那岐神社 宇陀市榛原区山路335 伊那佐山山上
祭 神  高?神 頬那芸神
由 緒
  伊那佐山(637.2b)山頂に鎮座。

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