インド・初めての旅







インドを始めて訪ねた。インドと云えば、カレー、サリー、紅茶、象、ターバン、そしてタージマハール、ガンジス河などが思い浮かぶ。
インドは広い。たった1週間ではそれほど多くを見たり経験したりはできないけれど、初めてのインド、デリーとアグラとジャイプールの3都市を回るツアーに参加した。

写真の女性、たまたまセントラルパーク近くでTVCFの撮影に出会い、許可なくカメラを向けました。ごめんなさい。


デリー

デリーは、シャージャハンが300年前に城壁を築いて囲んだオールドデリーと、20世紀初頭英国の手によってできた首都ニューデリーに分かれる。

ニューデリー・インド門

ここから旅が始った。

ニューデリーのメインストリート、ラージバトゥ通りにインド門が建つ。第一次世界大戦で戦死したインド兵の慰霊碑で、1万人の兵士の名が刻まれているという。高さは42b。広い公園になっていて、サリーを着た女性とのカップルがくつろぐ。
まっすぐに延びるこの通りには、大統領官邸や国会議事堂があり、夕刻の喧騒の街に夕日が沈んだ。

ニューデリーの中心にはセントラルパークがあり、その周囲が一番の繁華街、ファッション街だ。そして地下街もある。ちょっと潜って見た。まあ大阪でいえば梅地下か難波地下街のようなもの、買い物客で賑わうが呼び込みもすごい。特に外国人の私たちには商品を持って寄り添ってくる。男の私には、シャツ・ベルト・靴などを売り込む。なかには時計とか電気ひげそりを持ってくる。バカやな、日本人の私がここデリーまで来て日本製の時計や電気ひげそり買うか?

販売員は男の兄ちゃんとおっちゃんばかり、じろじろと見られているから少々気味が悪い。そういえば、インドでは女性の販売員がひとりもいない。不思議。
綿のインド風シャツが100RSくらい、350円だ。涼しそうで夏用にいいなと買い求めた。

ところでインドの貨幣、単位はルピー、複数のSを付けてRSと表示してある。円との交換レートは10000円で3520RSだった。

私が旅行中に使った貨幣はこれだけ。インドの貨幣は国外持ち出し禁止とガイドブックには書いてあったが、うっかり財布に残っていた。ごめんなさい。今度訪ねたときに使い切ります。
これでもきれいな札を集めた方で、10RS紙幣などは汚れた札が多く、少々の臭いとねばねばとしたきもい紙幣だ。手に触るだけで病気になりそうな札だ。メモがしてあったり、セロテープで貼り合わせたり、破れた紙幣も多い。紙幣はみんなインド独立の父マハトマ ガンジーさん。
ホテルのポーターは20RSのチップ、ベッドメイキングも20RS。あちこちでトイレに入ると10RS。ホテルやレストランでビールの大瓶が180〜200RS。
これからあちこちでお金の話になる。ほんまに金、金、金という国やな。

デリー城(レッドフォート城

シャージャハンが300年前に築いた城壁で、赤砂岩で出来たまさに赤い城壁である。現在はインドの軍部の施設になっているらしい。たくさんの三輪自転車タクシー(サイクルクリシャー)が並んでいた。

市民の乗り物はこの自転車タクシーと軽自動三輪タクシー(オートクリシャー)だ。タクシーのおもちゃが街頭で売られていた。孫へのおみやげ。

フマユーン廟

16世紀ムガール帝国が最初に建造したペルシャ系イスラム様式の廟だ。二代皇帝フマユーンが亡くなった後、妃が建立したのがこの廟で、白大理石と赤砂岩の組合せがとても美しい。防壁に色々の石を嵌め込んだモザイクもきれいだ。
床面の補修が行われていた。「写真撮ってもいいか?」と尋ねたら「OK」と笑顔で答えてくれた。そして「サンキュー」と手を出してきた。10RS払った。

ラージ・ガード

インド独立の父マハトマ ガンジーの慰霊碑である。この地で荼毘に付された。
聖地なのでみんな靴を脱ぐ。預けるのに10RS、何をするにも金がいる国だ。慰霊碑の周りをぐるっと廻ってから祈りを捧げるのが礼儀らしい。学生の団体が多い。女学生のサリー姿がカラフルでなかなかええもんや。

聖地近くの道路脇にコブラの蛇遣いのおっちゃんがいた。こわごわ近づいて写真を撮った。10RS。仲間の高橋さんが蛇かごを持っての記念撮影、私は蛇はぜんぜんダメ。

クトゥブミナール

11世紀、インドにイスラム教勢力が侵入してきた。13世紀初めの王朝、クトゥブッディーン アイバク王がイスラム教寺院と尖塔を建てた。クトゥブさんが建てたミナール(塔)である。72.5bもある。塔に刻まれた紋様、寺院の柱の紋様はすばらしい。

インドの女性はとてもきれい、そして子どももとても可愛い。目がくりっとしていて愛らしい。10RSは受け取らなかった。
そばをめちゃきれいなサリーの女性が通り過ぎた。2〜300bほど付いていってしまった、ストーカーである。1000RSほど払いたかった。
近くには尖塔よりも倍ほど大きな円形の基壇が未完成で遺る。後の王がさらに大きな尖塔を造ろうとしたが、暗殺されてしまって基礎部分だけが遺った。


アグラ  ムガール王朝の首都である。

タージマハール

タージマハールへの入口の門、11×2個の輪塔のようなものが並ぶ。タージマハール、22年の歳月を費やしたと表現しているという。
いよいよ今回の旅のメインとなるタージマハールである。ここに、この位置に立ちたくてインドまで来た。

ムガール帝国第5代皇帝シャー ジャハーンが愛妻ムムターズの為に22年の歳月を費やして建造した。白大理石でできたイスラム建築の至宝といわれる。宝石を嵌め込み、透かし彫りを施したあきれるほどの見事な建造物である。
宝石は碧玉・翡翠・トルコ石・ラピスラズリ・サファイア・カーネリアンなど世界中から集められた。

日本では「牛に引かれて善光寺参り」という言葉があるが、私が最高のショットポイントに立ったとき、偶然その前を牛が歩いた。インドでは「牛に引かれてタージマハール」である。絵葉書やガイドブックには必ず紹介されるが、私のこの「タージマハールと牛」のショットは自慢の逸品である。10RS払ってくれたら複写させてあげる。

ここでは靴を脱ぐかナイロン袋を履かされる。大理石を汚してはいけないという配慮だろう。
ナイロン袋など履かず素足で歩けばよかった。冷んやりした大理石の触覚を味わう方がよかった、失敗。

赤や黄色の花、そしてリス君も歓迎してくれている。

アグラ城

16〜19世紀、ムガール帝国の城塞である。大帝アクバルによって建設が始った。タージマハールを建設したシャー ジャハーンはヤナム河を挟んで黒大理石でタージマハールのような自らの墓を建てようとしたが、晩年はこのアグラ城で幽閉され、河の向こう遠くに見える愛妻のタージマハールを眺めて余生を終ったという。

お昼ごはんのレストランで

レストランの入口で可愛い女の子が歓迎の踊りを披露してくれた。お父ちゃんは弦楽器、お母ちゃんは歌、お兄ちゃんは太鼓、家族全員での演奏と踊りである。これは100RSあげよっと。

アグラの街


ヨーガの総本山

早朝

朝ごはん?

レンガを背負うロバ

みんなで畑に

住宅

商店街

商店街

バス

エンジン剥きだしの車

ロバのタクシー

牛さまのお通り

ファテープル シークリー

皇帝アクバルがアグラから遷都した16世紀中頃の都城であるが、水不足のため数年で廃墟となってしまった。
日本でいえば、大阪城見て、姫路城見て、彦根城見て、名古屋城見てといった感じでもう赤いお城もちょっと食傷気味、あまり印象に残っていない。
この城の周囲にニーム(Neem)の木がたくさんあって、この木の小枝で歯磨きをするという。木質がささくれやすいということ、試しに歯を磨いてみたが、爪楊枝の親分みたいなものだ。それとこの木の葉っぱは薬になり「医者いらず」という。噛んでみるとにがい。殺菌力がありそうだ。


ジャイプール

100年前、この町を訪れた王子を歓迎するため町中をピンク色に染めたという。以来そのままピンク色を続けていて現地の観光パンフレットなどに「Pink Town」と書かれてある。
私は早合点をして、ここは新宿・歌舞伎町みたいなところと、夕刻この町に到着するするのをどきどき楽しみにしていた。

何にもない、単に壁をピンク色に塗った町で、早朝野良牛がゴミ箱をあさり、蛇遣いが蛇を踊らせている。

風の宮殿

名前がとてもおしゃれでどんな宮殿やろと期待していたが、単に建物が薄っぺらいから風通しがよいということ。ジャイプールの王妃や宮廷の貴婦人たちが俗人の目に触れることなく、街頭での祭りや行列を見るための窓がいっぱいあるというそれだけの建造物である。赤砂岩に飽きてしまって感激がない。
それよりもこの町、とても貧しい町という印象だ。子どもを抱えた母親がぴったりと寄り添う。お金をくれという。あちこちでは人が死んだように寝転がっている。とてもピンクの町とは思えない。

アンベール城

先ずは象に乗って宮殿に向かう。あくまで観光用の乗り物であるが、運転手が太い鉄の先の尖った棒を持ち、象が動かなかったり方向を変えるとき、この棒で強く象を刺す。象の皮膚は分厚いのだろうがそれでも痛々しい。そして宮殿までの道々にはずらっと物乞いの人たち、子どもたちが並ぶ。観光気分は失せてしまって暗い気持ちになってしまう。

6世紀もの長きにわたった首都アンベールの丘城、きっと当時も周りの貧困とその犠牲によって造られた城であろう。鏡の間というのがあり、贅沢を極めた部屋で、壁や天井に鏡が何千と埋め込まれていて、1本のろうそくの炎が何千にも輝くという。王様や妃はこの部屋で何をしていたんや。

ジャンタルマンタル 天文台

18世紀の初め、サワイジャイシング2世が造ったという日時計や星を観測する施設。日時計は20秒の単位まで正確な時刻を示すという。見学時の時刻をぴったりと当てた。星・星座の位置で日月もぴったり分るという。これは偉いもんやと感心をした。インドの占いの原点のようなものだ。

この天文台とアンベール城はカメラ1台に50RSの金を取る。私のカメラ1台で申告し、奥様はカメラをバッグに入れた。ところが私の星座「山羊座」のモニュメントの前で写真を撮ってほしいと頼んでしまった。奥様もすっかり忘れてしまっていてはいはいとカメラを向けた。突然係員が走ってきて金払えと大声で叫ぶ。あきれてしまった。もちろんこちらの不注意ではあったが、たくさんの係員がそのために見張りをしている。

この後、近くの博物館に行きジャイプールのコースは終了し5〜6時間かけてデリーに戻る。観光の全行程も終わりである。


初めてのインドの旅、ちょっと思うところ・感想を述べてみたい。

インドカレー

インド料理はカレー、それしか浮かばないから毎日カレーを食べさせられるのかと心配していたが、やっぱり毎日カレーだった。(安いツアーだからかもしれない)
左からタンドリーチキンカレー・ビーンズカレー・ベジタブルカレー・ほうれんそうカレー。ご飯は長さが1a以上もある細長いパサパサのご飯、バースマティー種といって香りの女王という米らしい。
「ナン」というのか「チャパティ」というのか何というのかよく分らないが、焼き物はとてもカレーに合って美味しい。タンドリーチキンはほんまに美味しいし、これなら数日食べ続けても私は大丈夫。

食後のデザートに果物がでる。マンゴ・メロン・スイカなどであるが、どれを食べても甘味が少ない。不味い。年中暑い国だから果物に緊張感がないのだろう。日本のスイカやメロンは短い暑い夏に熟さなあかんと緊張して時期を待っている。インドのスイカはいつでもできるで!とだらしない生活してるんやろな。

紅茶

ホテルやレストランで出される紅茶は、ブルックボンドやトワイニングのティーバッグが多い。ホテルの部屋にあったのもブルックボンドだが、シールにタージマハールの絵がある。これを買いたかったがショップが見つからなかった。
ガイドが紹介した紅茶専門店は、なるほどダージリングの高級茶葉ばかりを並べる店で、値段も日本と変わらない。いや高いかもしれない。ほんとはぼったくりやと思いつつも、ここインドでしか手に入らないから仕方なしにたくさん買ってしまった。まだ飲んでいないが、きっと日本で手に入るダージリングの方が美味いと思う。外貨稼ぎの筆頭だろうから、いい茶葉はイギリスや日本に輸出してしまって残った茶葉がインドで売られると思う。ホテルがインドのブランドを使っていないのもその理由だろう。

観光客用のショップ

ついでにその他のみやげ物の話。なんでもべらぼうに高い。一方で10RSを求めて手を差し出す姿を見ているのに、商品に示されたプライスにはあきれる。日本で買うより高そうだ。ただし、こんな言い値で買う日本人もいないはず、はな初めから挨拶がわりのプライスでどんどん下がる。「半値八掛け」というが、こちらではさらに「五掛け」でもよいような設定である。

安いツアーで行くと必ずこのようなショップに連れていかれる。例えば、大理石の工場、なるほどいい物が並んでいる。タージマハールを思い出させる、きれいな逸品ばかりを紹介される。しかし値段を聞いてあきれる。「電話台にいかが」という象嵌大理石で7万〜10万円、もっと大きな40万・70万・100万というのも紹介してくれる。ちょっとでも安い旅行をと思ってなけなしの小遣いで旅しているのに旅費の数倍もする大理石が買えるものか!それでもこれを買う日本人がいるという。あきれる。
せっかくインドまで来たんだからと何か小さな物でもと思うあさはかさ。「More small」とか云ってちいさな大理石を買ってしまうバカもいる。最初の言い値より半分以下にはなったけど、それが高いのか安いのか分らない。だって、普段日本で大理石の商品など見たことも買ったこともないから値打ちが分らへんし、値ごろ感もさっぱりや。やっぱり高い買い物したんやろな。娘と息子の嫁にと宝石箱も2つ買わされた。

次ぎの目的地まで5時間くらいかかるから、途中ドライブインで休憩になる。
トイレには男性用には男が、女性用にはサリーの女性が門番していて10RSを払わねばならない。だいだい、日本で小便するのに金がいるという習慣がないからうんざりする。
トイレが終ると、みやげショップのお兄ちゃんが一斉に声をかけてくる。入口に7〜8人並んでいて、誰が教えたのか「いらっしゃいませ」とか「安いよ、安いよ」と日本語で寄ってくる。気味が悪い。
そこで私はちょっとプアな英語やけど、その販売員7名に「全員集れ!」と声をかけた。日本人の仲間が誰も恐がって入らないからだ。そのまま帰ってもよかったのだが、ちょっと教育してやれということで「ショップ経営と販売員教育」というテーマの講義を始めてやった。
@ 販売員は入口に立たないこと。
A しかも日本人客にすり寄ってこないこと。
B お客様にひとりでゆっくり商品を見てもらうこと。
C 一通り見終わったころにおもむろに「お気に入りのものはございましたか」と軽く声をかける程度でよい。
D 「安いよ、安いよ」と最初からバカみたいなプライスを云わないこと。
E できれば男性ではなくきれいな女性の販売員にすること。
ここまで講義を続けたら、円陣を組んで聞いていたひとりから「質問」という。「なんや」と聞くと、女性はスィーパー(掃除)とトイレの係りで、権威ある販売員の資格は男性にしかないという。女性はできんとこだわる。
値引きの権限を持つのは男性で、そんな難しい交渉事を女性にまかせられないという。これはどうやらインドの考え方でどこのショップも女性の姿はなかった。
さらに講義を続けた。
F そんなこと云ってるからちっとも売れへんのや(関西弁の英語ではないが)、男は奥の部屋に隠れておれ!
と、云ったらまたひとりが手を挙げた。
なんとなく分るような気もするが、それはとても難しいことなので、奥にいるボスにその話をしてくれという。
講義料もろてへんし、もう止めた。「解散!」と云って講義を終えた。
そしたら、チーフみたいな男が、「いい話聞いたし、あんただけ安うするわ」と耳元で云う。中に入ってちょっと気に入った商品を指さしたら、日本円で7000円という。あほか!2000円でもいらんわ。あきれた。わかっとらん。

女性

確かにインドの女性はきれいな人が多い。同じアジアでも我々日本人や朝鮮系・中国系のような顔立ちではなく、目が深くくぼみ、鼻がつんと高く、きれいな黒髪で、ほんまに美人が多くてきょろきょろしてしまう。
ほとんどの女性がサリーを着る。真っ赤なサリー・ショキングピンク・黄色・青色・柄入り・スパンコール・刺繍・いろんなサリーがあるようだ。頭からショールをかぶった姿、風にひらひら裾が揺れるのもなかなかええもんや。
しかしこのサリー、どんな時でもどんな場所でも、いわゆるTPOを選ばず着用している。田舎ではこのサリー姿で農業に従事していて、動きの鈍い作業風景に出会う。水甕や薪を頭に載せて運ぶ時もサリー、道路工事の「泥」や「砂利」を頭に載せて運ぶのもサリー。
日本人は作業効率や汚れを避けるために和服をすてた。
インド人はがんこにサリーを全ての場面で着用する。わからん。

一番いやなことは、子どもを抱えた母親、小学生くらいの子ども、あるいはハンディキャップのある人、車が交差点に停まると車の窓やボディをたたく。手をのばして「マネ・マネ」と云う。車だと窓を開けなければいいし無視もできるが、街を歩くと一斉に近寄ってくる。マネ、マネである。母親のサリーは汚れている。子供たちの服装はもっと汚い。「あきれる」を通り越して「あわれ」である。

交通事情

タクシーの主はオート三輪、日本の昔のミゼットのような車。小さな車が猛スピードで走る。定員は2名なんだろうが、現実は家族全員、仲間全員が乗ってしまうから5〜7名くらいで走っているのが多い。座れないから中腰の人、窓枠につかまっている人、あきれる。

高速道路でも定員無視の車が走る。車内にいっぱいの人、外にぶら下って乗っている。120`くらいで追い抜いていく。あきれる。
高速道路、2車線あるがどちらも追い越し車線。2車線とも遅い車が併走しているとホーンを鳴らす。車の後部を見て欲しい。「Blow Horn」とか「Dipper Prease At Night」とか書かれている。ホーンを鳴らしてくれ、夜はチカチカとライトを点滅して知らせ、そしたら道を開けるという。だから私たちのような乗用車はホーンを鳴らしっぱなし、「ブーブー、ブーブー」「どけどけ」と云って走る。
日本では極力ホーンを使わないのがマナーである。
マナーといえば、恐いのは高速道路といってもトラクターのような遅い車は走るし、自転車も走る。人も歩く。横断する人もいる。もっと恐いのは路肩を逆走してくる車もある。
デリー近くの本当の高速道路で渋滞になった。一方通行のこの道をUターンする車がある。高速道路の逆走だ。あきれる。この渋滞、3車線が6〜7車線のように隙間を車が埋める。ますます動けなくなる。そしてホーンをブーブー鳴らす。まったくあきれる。

このような恐ろしい交通事情の中を猛スピードで私たちの車は走った。そして無事ニューデリーのホテルに着いた。
旅は終った。旅の安全を見守ってくれたインドの「釈尊」に感謝をしたい。私は仏教の大学の学生だから。

まだまだ書きたいことがある。カースト制のこと、仏教のことなどであるが、長いインド紀行になってしまってきっと読む方も疲れてしまったと思う。
また次回のインド訪問のときに、ということで。

今回の「インド・初めての旅」を終ります。お読みいただきありがとうございました。


追記

ツアーがご一緒だった重政さんと高橋さんから写真が届きました。1週間ずっと同じ旅を続けましたから、風景や建物の写真は似たり寄ったりですけど、人物写真はそれぞれで、なかなかいい写真が多いので私と合わせて3人の写真集「インド・顔」を紹介します。
素人の旅写真、肖像権はかんにんしてください。

「インド・顔」

最後の二人はインド人ではなく広島人、重政さんと高橋さんです。ありがとうございました。
このふたり、10RSくれ!と云いそうやな。

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