大伽耶・新羅の旅

于勒博物館

慶尚北道高霊郡高霊邑池山里

海印寺を発ち高霊邑に向う。夕刻が迫る。急ごう。どうしても「于勒」に会いたい。

16:40 大伽耶博物館に着く。閉館間際だ。とても館内を観る時間はない。係員が出てきた。。

「于勒博物館が是非観たい、日本からそのためにこの高霊まで来た!頼む」と私は日本語で云った。

J君が懸命に通訳をした。于勒博物館はここからまだ車で10分はかかるという。

係員が云った。「分かった、電話を入れておく。急いでくれ」と(韓国語で)。

16:53 17:00閉館なのに、ドアを開けて于勒博物館は私たちを待っていてくれた。感激の于勒との対面である。

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伽耶琴については、『大加耶連盟の興亡と「任那」・加耶琴だけが残った』 田中俊明著 吉川弘文館 をお読みいただきたい。

館内の展示物を見、伽耶琴の歴史を知り、ようやく気持ちも落ち着いて館外に出た。もちろん心からの感謝を述べて。

先ほど到着の時は、気も急いて館の全容など見る余裕などなく玄関口に走ったものだが、

今振り返って見てみると、館の屋根が傾いている。えっ!そうだ!屋根が伽耶琴なんだ。おしゃれだ。すごい、すごい。

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伽耶琴の大きなモニュメントがあると聞いていたがここにはない。博物館で尋ねると、近くの山の頂にあるという。急ぎ車を走らす。

あった!あった!伽耶琴だ。

モニュメントのある小丘からは高霊の街が望めた。

ここに古代5〜6世紀、大伽耶国があった。562年新羅に滅ぼされた。

西の山に夕日が沈んだ。

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日本の正倉院に、この伽耶琴が残る。

聖武天皇の時代、朝鮮半島の新羅という国からいただいたから新羅琴と呼んでいるが。

韓国にはこんな古い伽耶琴は残らない。いくたびかの兵火で焼けてしまった。

平成19年度正倉院展図録の新羅琴

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平成23年5月、伽耶琴の演奏を聴く機会を得た。

閔美和(ミン・ミファ)さんの演奏、哀調の琴の音に耳を傾けた。

于勒の琴が、今もここに伝わっているのだ。

 

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高霊から釜山に戻って、夕食は「焼肉」。焼肉をたのむと、これだけの皿がならぶ。初めての人はびっくりする。

    

    

    

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「万葉集を携えて」

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