大伽耶・新羅の旅

慶州市 芬皇寺

慶尚北道 慶州市九黄洞

『三国史記』巻第五 「新羅本紀」第五善徳王に、

「三年春正月。改元仁平。芬皇寺成」とある。634年である。

この石塔は、安山岩を煉瓦のように積み上げたものであるが、基壇部の規模や塔の形状から、当初は七重か九重の塔だったと推定される。

1915年、朝鮮総督府が解体修理をし、三重の塔を再建した。

一層目の塔身石には四面に石の観音開き龕室があり、その両側に仁王像(金剛力士像)が彫刻されている。

基壇上の各角には石獅子が四体配置されている。

 

 

 

 

芬皇寺石塔内で発見された石の舎利箱の中には、さまざまな玉やはさみ、金の針、銀の針の他、

崇寧通宝、常平五銖などが入っており、高麗時代にも解体修理が行われたことがうかがえる。

八角井

この井戸は、護国龍変魚井と呼ばれる新羅時代の井戸である。

井戸枠の外部は高さ70cmの八角形で、内部は円形であるが、このことは

仏法の八正道と円融の真理と、井戸の中の四角形の格子は仏法根本教理の四聖諦を表す。

『三国遺事』巻二 紀異第二 元聖大王 に、

元聖王十一年(795)に、唐の使臣が来て、新羅の護国龍を三匹の魚に変身させ、それらを捕まえて持ち帰ってしまった。

翌日、二人の女が元聖王の前に現れ、自分たちは東池と青池に棲む二頭の護国龍の妻であるが、

唐の使臣と河西国の人たちが、自分たちの夫と芬皇寺の八角井に棲んでいた護国龍の三龍を呪術で小さな魚に化けさせて、

竹の筒の中に入れて持ち帰ったといい、三龍を取り返してほしいと訴えた。

王は、臣に命じて唐の使臣を追いかけさせて取り戻し、ふたたび元に放して棲まわせた。

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和諍国師碑趺

高麗時代に建てられた元暁大師の碑趺である。

芬皇寺を少し南に出たところに、幢竿支柱が立つ。

この幢竿支柱は統一新羅時代のもので、高さは360cm。

両支柱の間には東向きの亀趺がある。

幢竿の台石に亀趺を配置するのは、他に例のない特異なものである。

支柱も形は一般的なものd、三つの竿孔を穿って両支柱が貫通できるように造られている。

この幢竿支柱は芬皇寺のものと推定される。

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お腹が空いて、近くのうどん屋さんに。

アジュモニが手打ちうどんを作ってくれる。日本の讃岐うどんと同じだ。

 

 

 

あっさり系のうどんができあがった。

でも、もう韓国で4日目、キムチをいっしょに食べないと、なにか物足りない。けっきょく「キムチうどん」になってしまった。

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慶州市 芬皇寺

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