大伽耶・新羅の旅
慶州市 瞻星台 鶏林
慶尚北道 慶州市仁旺洞
朝早く釜山を出発して慶州に来たから、お腹が空いた。
大陵苑近くのレストランに。メニューを見てもさっぱり分らないから、「おまかせ定食」をオーダーした。
テーブルにはいっぱいの小皿が並び始めた。えぇっ!なにから食べたらええんや、どこまでが私の分?
瞻星台 国宝第31号
善徳女王の時代に造られた東洋最古の天文台 高さ9.17m
『東京雑記』には、
「善徳王の時、錬石にて台を築く。上は方にして下は円し。其の中を通じ、人は中に由りて、以て天文を候す」とある。
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瞻星台 鄭夢周
瞻星臺兀月城中 玉笛聲含萬古風 文物已隨羅代盡 鳴呼山水古今同
瞻星は台兀として月城中 玉笛の声万古の風を含む 文物已に羅代に随って尽く 鳴呼、山水は古今に同じ
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瞻星台と数
「27」(下から上までの段数)−当時の王・善徳王が27代目国王、
「28」(下から上の桁までの段数)−東洋での星座・星宿の数、
「29」(土台石まで入れた段数)−陰暦の日数・29日、
「12」(中間の入口からそれぞれ上段・下段の段数)−12ヶ月、
「360」(瞻星台に使われた石の数)−1年360日、
なのである。ほんまにそんなことまで考えて造ったのやろか。
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鶏林
新羅王室発祥の伝承をもつ聖林である。
新羅四代の脱解王九年(65)、この林の中の樹枝に金櫃がかかっており、木の下で白鶏が鳴いていた。
王はこの櫃を開けたところ、小児が入っていたので、この児を養育した。
閼智王と名付けたが、金櫃にちなみ、金氏の姓としたという。その七世の孫・味鄒が十三世の王位に就いた。
新羅の国名を「鶏林」とも呼んだ。
鶏林の伝説が刻された碑閣
古木がいっぱいあるけど、金櫃がかかっていたのはどの木?どこかに白い鶏はいませんか?
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月城 (新月城とも半月城とも)
新羅時代の宮殿があったところ。地形が三日月のようになっているから「月城」と呼ばれた。
昔、脱解王が幼い頃、ここに瓠公という人が住んでいたが、後に脱解王がここを占拠したという伝説がある。
婆娑王22年(101)に、ここに城を築き、歴代の王が月城に住むようになった。
『三国史記』婆娑王二十二年に、「春二月、築城名月城。秋七月、王移居月城」、とある。
今はなにも残っていない。ひろ〜いグランドのようだが、
南側には南川が流れ自然な防御の役割を果し、北・東・西のそれぞれには敵の侵入を防ぐための幅広い濠を掘った。
南門、北門、仁化門と、臨海殿に通じる臨海門があった。
石氷庫
朝鮮時代の英祖14年(1738)に、月城の内に造られた氷室。
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