「会津八一の南京」 歌碑を訪ねて
猿沢池
猿沢池にて
わぎもこ が きぬかけやなぎ み まく ほり
いけ を めぐりぬ かさ さし ながら
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猿沢池
興福寺の南にあり。この池の岸に「采女祠」といふものあり。そのほとりに「衣掛柳」といふものあり。
一たび平城京のさる天皇の寵を得て、やがてまたこれを失ひしを悲しみて、身をこの池に投じたる一人の采女の伝説あり。
その天皇の歌に、「猿沢の池もつらしなわぎもこが玉藻かづかば水ぞひなまし」、
また柿本人麿の歌に、「吾妹子が寝くたれ髪を猿沢の玉藻と見るぞ悲しき」など『枕草子』『大和物語』『南都巡礼記』その他にも見ゆ。
しかるに、ひとり『七大寺巡礼私記』及び『諸寺縁起集』に収めたる『興福寺縁起』にては、
これは桓武天皇の三皇子の皇位継承に伴う葛藤によりて生じたる悲劇とし、水死したるものを平城天皇の皇后なりとせり。
『南京新唱』より
猿沢の池 向こうに興福寺の五重塔
歌碑は、写真前方の石段の上り、左側に立つ。
池傍にある采女神社
社殿が鳥居と池に背を向けて建つ。身を投じた池を見るに忍びないと一夜で社殿は池に背を向けたという。
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奈良市登大路町
「会津八一の南京」
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