「会津八一の南京」 歌碑を訪ねて
東大寺
東大寺にて
おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
おほき ほとけ は あまたらしたり
・・・
東大寺
大仏殿は天平十七年(745)聖武天皇によりて奈良の地にて起工。治承四年(1180)平重衡によりて焼失。
建久六年(1195)源頼朝(1147〜1199)大檀越となりて再建。永禄十年(1567)三好、松永の兵火にて焼かれ、宝永五年(1708)復興落成せり。
作者が初めてこの寺に詣でたるは、明治四十一年(1908)恰も大修理の最中なりしかば、境内には木石の山を築き、
鉋鋸の響耳を聾し、人夫車馬の来往織るが如く、危くその中を縫ひて進めば、大仏の正面には、いと高き足場を組み上げ、
その上より参拝せしめられたり。
あまたらし
盧舎那仏即ち大仏は、宇宙に遍満すとも、或は宇宙と大さを同うすともいふべし。これを「あまたらす」といへり。
「たらす」とは、「充足す」「充実す」の意なり。
今の大仏は従来幾度か火難に遭いて、惜むべし上半身は後世の補修なれども、下半身は原作のままにして、
ことに座下の蓮弁には、一片ごとに天平のままなる三千世界図の流麗なる線刻あり。
すなはち『凡網経』に説ける宇宙の図にして、大仏は実にかくの如き世界の、無数に集合せる上に、安坐することを、象徴的に示せるなり。
仏教はもとより広汎深遠なるものにて、その大綱を知るさへ、決して容易にあらざれども、
奈良地方を巡遊して、その美術的遺品を数をつくして心解せんとするほどの人々は、たとへ年少初学の士なりとも、志を深くし、
適当なる指導者を得て、予め相応なる知識的準備をなすを必要とす。その準備の深きに従ひて、収穫また従つて多かるべし。
『南京新唱』より
・・・・・・・
奈良市雑司町
「会津八一の南京」
春日大社神苑 興福寺 猿沢池 法輪寺 新薬師寺 東大寺 般若寺 海龍王寺 法華寺 秋篠寺 喜光寺