「会津八一の南京」 歌碑を訪ねて

秋篠寺

秋篠寺にて

あきしの の みてら を いでて かへりみる

いこま が たけ に ひ は おちむ と す

秋篠寺

生駒郡平城村秋篠にあり 平城京の西北の角

光仁天皇の命にて宝亀十一年(780)善珠僧正の開基。もとは七堂伽藍の備はれる大寺なりしも、保延元年(1235)の

火災にて講堂以外悉く焼亡し、後再建せられしも、また兵火に遭ひ、現在は講堂のみ本堂として遺り、寺地も甚しく狭隘となれり。

京都なる宮廷の御修法に因縁深かりし鎌倉時代製作の大元帥明王像は、今も寺中に鎮座すれども、その堂は近年の造立に変れり。

作者が初めてこの寺を訪ねたる時は、住職と見ゆる一人の高齢の僧ありて、明治初年頃、このあたり諸寺窮乏のさまを詳かに語れる中に、

仏像の多きに人手無くして供養に遑あらぬ寺々にては、夜陰に出でて仏菩薩の像をひそかに他寺の境内に棄て、

あるひは他より棄てられしものを、更にまた他に棄てに行きなどし、甚しきは、それらの破片を粗略にせんことも勿体なしとて、

据風呂の薪となしたるもありと云々。

その僧の語れるところは、世に「ほとけ風呂」といひ伝へたるものありしことの偽ならぬを示せり。

いこまがだけ

生駒山。大和と摂津との境にあり。高き山にはあらねど、姿よろし。

『新古今集』に載せたる西行の歌に「秋篠や外山の里やしぐるらん生駒の岳に雲のかかれる」といふは、よく実際の景致を捉へたり。

                                                                       『南京新唱』より

伎芸天立像

頭部は天平時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の寄木造。 我国唯一に伎芸天像である。

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奈良市秋篠町

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