「会津八一の南京」 歌碑を訪ねて
法隆寺 i センター
御遠忌近き頃法隆寺村にいたりて
うまやど の みこ の まつり も ちかづきぬ
まつ みどり なる いかるが の さと
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御遠忌 ごをんき
五十年忌以後五十年毎に行ふをいふ。ここにては聖徳太子の法会をいふ。
太子は『日本書紀』によれば、推古天皇の二十九年(621)二月二十二日に逝きたりとあり。それより起算して大正十年(1922)
四月十一日法隆寺にて千三百年忌が執行されたる時なり。
されど作者は、同寺金堂の本尊釈迦三尊光背の銘文を基礎として、太子の薨去は同天皇三十年(622)二月二十二日と信じ居れり。
うまやどのみこ
聖徳太子は用明天皇の第一子。母なる穴穂部間人女王が、あまねく宮中を巡りて、恰も厩舎の前に至りし時、俄かに産気づきて
誕生せるところといふ。
厩戸皇子、上宮太子、耳聡太子、豊聡耳太子、八耳太子、法大王、法主王など世に称せられたりといふ。
『南京新唱』より
釈迦三尊像 聖徳太子と二皇子
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奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺1丁目
「会津八一の南京」
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