「会津八一の南京」 歌碑を訪ねて
法隆寺1丁目道沿い (夢殿の北方)
夢殿の救世観音に
あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
この さびしさ を きみ は ほほゑむ
・・・
救世観音 ぐぜくわんおん
救世観音の名は、大陸の仏典または造像には未だ曾て見えず。されど「救苦観音」といふものは、唐時代以後散見す。
ことに河南省竜門の石窟の銘文にその例あり。 ・・中略・・
観世音菩薩は、『妙法蓮華経』の『普門品』には、「能ク世間ノ苦ヲ救フ」とありて、我が国人にさへ一般に親炙せる句にて、
「救世」と「救苦」とは甚だ近邇せる語意なれば、国人はこの差別には殆ど無関心なるが如きも、
とにかく「救世」は大陸にては殆ど見ざる仏名なることを明らかになしおくなり。
ほほゑむ
中国六朝時代の造像には、常に見慣れたる類型的の微笑ありて、夢殿の本尊もその一例なるを、
ここにてはこの像の特別なる表情の如く作者の主観として詠みなせり。
また中国六朝時代より我が国の飛鳥時代に波及せる一種の微笑的表情を、遠くギリシャのARCHAIC時代の彫刻に
その源流を帰せんとする学者、わが国には一人のみにあらあるも、所謂アーケイック時代は、
耶蘇紀元を遡ること五世紀を超ゆるに、我が飛鳥時代はその紀元後七世紀なれば、千二百年を中として、突如として遠隔せる
東洋に影響し、しかもその中間には一もこれを中継せる伝承の径路を明らかにせずとせば、
これを以て学術的提説とはいふべからず、一場の座興となすべきのみ。
『南京新唱』より
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