「会津八一の南京」 歌碑を訪ねて

中宮寺

中宮寺にて

みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の

あき の ひかり の ともしきろ かも

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中宮寺

今は真言律宗。中宮の名は、用明天皇の皇后にして太子の生母なる穴穂部間人女王の生前の住址なりしに因る。

これが寺となるに至りしは、恰も法起寺は太子の離宮なりしを、その歿後十六年(638)にして寺院として初めて金堂を造りたるも、

たまたま上宮王家の滅亡のために頓挫し、天武の十三年(685)に至りて塔を建て、慶雲三年(706)に至りて、

漸くその露盤を完成したるに相似たり。されば、今日中宮寺の遺物と考ふべき仏像が、太子長逝の直後(623)に鋳造せられたる

法隆寺金堂の釈迦三尊像に比して、遥に後代の作風手法ありとも、当然のことにして、少しも怪むべきにはあらざるなり。

この寺初めは法隆寺の東方五町に当る冨郷村の、今が田畑となれる中にありて、次第に衰亡したるを、

慶長(1596〜1614)年間現在の地に移して再興したるならむ。旧地は冨郷村役場の北に当りて、数株の松と池とがあり、

徳川時代までは、その築地の跡も残れりといひ、地形また歴然として徴するに足る。法起寺の岡本、法輪寺の三井を北に望み、

西は斑鳩宮と法隆寺とに対し、太子生母の宮址として最も恰好の地なりき。

この寺は、中世に於ける衰微の稍久しかりしためか、文献は失はれて稍乏しきも、?斎が『京游筆記』に手録せる断章によりて

綜合するに、塔、金堂、講堂を枢軸とせる一廊の伽藍にて、その講堂の本尊は薬師三尊にして、その背後の壁上には、

著名なるかの繍帳を懸けたりといふ。

しかるに、金堂の本尊につきては、文献全く闕如せるも、もし今の半跏の菩薩像を、創立以来の金堂本尊とせば、

恐らく丈六像なりしと想像さるる講堂の如来三尊に比して、仏格も、形式も、大小も、軽きに失すべきを恐る。

即ち最初の金堂の本尊は、その時代の多くの類例の示すが如く、丈六型の釈迦三尊像にてありしなるべし。

ことに注意すべきは、之を大同なる雲崗の石窟に徴するに、この寺に見る如き半跏像は、屡中央なる如来像を挟みて脇侍として

左右同形式にシムメトリに造設されたる例あれば、この像はむしろ最初の金堂本尊の脇侍の一なりしと認むべきに似たり。

ともしきろかも

かそけくなつかしきかな、といふほどの意。「ろ」は意味無き助詞。『万葉集』には「悲しきろかも」「尊きろかも」「乏しきろかも」などあり。

またこの歌は、この半跏思惟像の一種微妙なる光線の反射を詠みたるものなれど、

この光沢は近時この寺の尼僧たちが、布片などにて、しきりに仏身に払拭を加ふるために、偶然に生じ来りしものにて、

製作の最初には、かかる光沢は期待されざれしなり。

これかの西の京なる薬師寺金堂の三尊が、再度の罹災によりて鍍金を失ひし代りに、僧侶の払拭によりて、その地金より、

玲瓏たる光沢を発し来りしと同じことにて、これに心酔するは観賞する人々の自由なるべきも、最初の製作者の意図せざりしところなり。

この像の前額部を仔細に検すれば、左右対称的に整列する小さき釘穴の群あり。かくの如き穴は胸部にもあり。また左右の手首、二の腕にもあり。

これこの像が、最初は釘留めにせる薄金作りの宝冠を戴き、胸には瓔珞、両臂両腕には釧環を帯び居たりしことを示すものにて、

これ等の装飾は、恐らく罹災またはその後の混乱にて失はれたるなるべく、もしそのままにてありしならば、今の如くこの寺の尼衆たちが、

心やすく仏身に触れて払拭することは容易ならねば、かかるわざは思ひもつかざりしなるべく、従って、かかる微妙なる光沢は生じ来らざりしならむ。

 

尚ほこの像の仏名は、俗間には多く「如意輪観音」と称するも、この像の製作せられし時代には、如意輪観音の形像も、その儀軌も、

未だ我が国には伝来し居らざりしのみならず、この像と密教にいふところの如意輪観音とを仔細に比較するに、

全身の姿勢より左右の手足の位置に至るまで、一も同じところなしといふを正しとす。

しかるに当時の朝鮮半島にては、この姿態を持てるものを、何故か、弥勒菩薩と呼び、河内の野中寺の像(666)の如きは、

明らかにその系統に属す。されど、広く大陸に眼を放てば、この種の像は、釈迦が、その青春の日に、一日野外に出でて、

樹下に独坐して思惟に耽りし姿より発生したるものなれば、これを釈迦の幼名を以て「悉多太子半跏思惟像」、

または略して「太子思惟像」と呼ぶを正しとす。   ・・・以下略

                                                                  『南京新唱』より

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