鞭崎八幡宮

滋賀県草津市矢橋町

源頼朝が平氏を滅ぼし天下平定して鎌倉幕府を創立、建久元年十月上洛の途当地を通過し、馬上より

ムチ(鞭)のサキ(崎)を八幡宮に向けて、村人にたづねたので鞭崎八幡宮と云うようになった。

表門

この表門は、明治四年の廃藩置県に際し、膳所城より移築されたもので、昭和五十二年の屋根葺替工事によって、

元は、膳所城南大手門であったことが明らかになった。

門右手に潜戸を設け、控柱は外八双に開く。また、屋根は本柱通りに切妻を掛け、控えにはそれより低い屋根をのせる。

そして屋根には、膳所城主本多家の家紋である立葵を飾った軒丸瓦や鬼瓦を飾る他、柱・扉等の要所に鉄板を鋲打ち

するなど重厚堅固な意匠となっている。

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(と、門傍らの説明文にあるが、大正十五年発行の「近江栗太郡志」に、旧膳所城城門と写真付きの記事がある。)

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当社は、矢橋の渡しに向かう矢橋道にあって、

矢橋は古く『今昔物語集』にも登場する。

「近江国矢馳の郡司の堂供養の田楽に語」

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村の鎮守さま 鞭崎八幡宮

万葉集を携えて

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