水島 熊本県八代市水島町 長田王、筑紫に遣はさえて、水島に渡る時の歌二首 聞きしごと まこと尊く くすしくも 神さびをるか これの水島 巻3−245 芦北の 野坂の浦ゆ 船出して 水島に行かむ 波立つなゆめ 巻3−246 石川大夫が和ふる歌一首 沖つ波 辺波立つとも 我が背子が 御船の泊り 波立ためやも 巻3−247 球磨川の河口に小さな岩島がある。これが歌に詠われる水島という。 球磨川は現在河口近くで枝分かれし、この川がいちばん南にある川だ。 球磨川の土砂の堆積や干拓により、万葉の当時とは大きく様変りしているようだ。 これなら野坂の浦から船出しなくても、歩いて島に渡れる。そう云ってしまうと情緒がない。 ・・・ 近くに万葉の里公園がある。歌碑は巻3−245。 球磨川沿いに、八代第六中学校があり、万葉歌碑がある。巻3−246。 中学校前の球磨川 ・・・・・ 八代市のかなり山手に、「野坂の浦」碑が立つ。 八代市敷川内町丸山 碑の前に立つと、八代の海と田畑が一望できる。往古はこの辺りが海岸線だったというのだ。 だからここが野坂の浦、ここから長田王は舟で水島に渡った。 なんとなく納得、野坂の浦は諸説あるがそのひとつ。碑には万葉歌3−246・247を刻す。 |
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