引手の山  龍王山

奈良県天理市中山町

柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血哀慟して作る歌

衾ぢを 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし  巻2−212

天理市中山町の山辺の道を東へ入ると、前方に「引手の山」といわれる龍王山が望める。

この辺り、現在は柿が多く栽培されていてのどかな風景が広がるが、

散策しているとあちこちに盛土の古墳らしい遺跡に出会う。

3世紀のころから柿本朝臣人麻呂の万葉のころもずっと、この辺りは亡くなった人たちを葬ってきたようだ。

今数えられるだけでも5〜600の墳墓が辺りに点在するという。

・・・・・

妻を亡くした人麻呂も、ここに妻を葬った。

「生けりともなし」と悲しみ、涙しながらこの衾道を下りていった。

この山道を少し登ると衾田陵に着く。西殿塚古墳ともいう。

衾田陵は、宮内庁管理では継体天皇の皇后手白香皇女の陵とする。

大きな前方後円墳で、全長219b、後円部径135b前方部幅118bというもの。

ただし最近の発掘の結果、箸墓と同時期の3世紀後半の古墳であるとされた。

手白香皇女は6世紀前半の人で、どうやら年代が合わなくなった。垂仁天皇陵という説も出ているが詳しくは分らない。

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