笠縫島

大分市生石港町

四極山 うち越え見れば 笠縫の 島漕ぎ隠る 棚なし小舟  巻3−272

笠縫島

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歌碑のそばに記された説明の文には、

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四極山、笠縫島の所在については、我国で最も古い歌論書『八雲御抄』(鎌倉初期)に豊後説があげられ、

四極山は今の高崎山、笠縫島は大分市生石港町のこの島であると、古来から伝えられてきました。

江戸時代の契沖は愛知の三河説を、賀茂真淵は大阪の摂津説を唱えていますが、

どちらも根拠が薄弱なため、決め手となっていません。

むしろ、それ以前から伝えられてきた豊後説を考証する古地図や古い記録がたくさんあります。

そこで、豊後の四極山、笠縫島が和歌の名所として永く後世に伝えられるよう、ここに歌碑を建てます。

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万葉歌碑

ここ、大分市のここが笠縫島なのです。

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