聖徳太子廟 叡福寺

大阪府南河内郡太子町太子

上宮聖徳皇子、竹原の井に出遊す時に、龍田山の死人を見て悲傷しびて作らす歌一首

家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ  巻1−415

 

大阪府太子町に叡福寺があり、その境内に聖徳太子廟がある。

聖徳太子は推古天皇三十年二月斑鳩宮で亡くなった。この廟には、母穴穂部間人皇后と聖徳太子と后膳部大郎女の3人が眠るという。

『万葉集』には聖徳太子の歌として、上記の歌がある。

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当叡福寺山門前に、「王陵の谷」のモニュメントがあり、次の万葉歌が記されている。

大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時、大伯皇女の哀しび傷む御作歌

うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山を 弟背と我が見む  巻2−165

 

叡福寺から大津皇子の眠る二上山が望める。

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王陵の谷と呼ばれるこの地には、敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵がある。

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