()()()()()()()()()鞍作村主益人(くらつくりのすぐりますひと)

 

    鞍作村主益人、豊前の国より京に上る時に作る歌一首

  梓弓 引き豊国の 鏡山 見ず久ならば 恋しけむかも   巻3−311 

鏡山  福岡県田川郡香春町

    鞍作村主益人が歌一首

  思ほえず 来ましし君を 佐保川の かはづ聞かせず 帰しつるかも   巻6−1004

     右は、内匠大属鞍作村主益人、いささかに飲饌を設けて、長官佐為王に饗す。いまだ日斜つにも及ばねば、王すでに還帰ぬ。

     益人、厭かぬ帰りを怜惜しみ、よりてこの歌を作る。

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村主すぐりとは、古代の姓で、古代朝鮮語の村長を表す「スグリ」からきたという説が有力であるが、おもに渡来人のうち、下級の氏に与えられた。

内匠寮・・・『続日本紀』神亀五年(728)八月の条に、「勅して始めて内匠寮を置く。頭一人、助一人、大允一人、少允二人、大属一人、少属二人、

史生八人、使部已下、雑色の匠手、各数有り。」とある。

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佐為王

長官とあるから、内匠頭ということになるが、『続日本紀』には見えない。

葛城王(橘諸兄)の弟で、和銅七年(714)従五位下。養老五年(721)以後、山上億良らとともに、退朝の後東宮(後の聖武天皇)に侍す。

天平八年(736)、葛城王とともに臣籍に下り、橘宿禰佐為と名のる。翌年、中宮大夫兼右京衛率正四位下で没。

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鞍作といえば、

鞍作鳥(止利仏師とも)

7世紀後半に活躍した仏師で、移入期の仏教に重要な役割をはたした渡来系一族のひとり。

現在、鞍作鳥作とされるものに、「法隆寺金堂釈迦三尊像」、「飛鳥寺釈迦如来像」がある。

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万葉集を携えて

万葉集 渡来人 鞍作村主益人

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