妓王寺

野洲市中北

『平家物語』に登場する妓王・妓女・母刀自・仏御前の菩提を弔う。寺といっても草庵のようなたたずまいである。
この地は妓王・妓女が生まれ育ったところとの言い伝えがある。

境内にある野洲市観光協会の案内によると、

「その昔近衛天皇の御代、江部荘司橘次郎時長と云う人があり、保元の乱に戦死した後、時長の妻刀自は二女子を連れて京に出て白拍子となった。
時の相国平清盛は白拍子を知り、その容姿を愛でて妓王と名づけ殿中に仕えせしめた。妓王・妓女姉妹とも清盛の寵愛を受けたが、無情を知り恋嘆にくれ翠の黒髪を断ち切り、夜ひそかに御殿を逃れ、嵯峨往生院に隠れ、建久元年三十八才にして大往生を遂げた。
旧里江部荘では深く妓王の恩沢を感じ、生地中北に一宇を建立して妓王寺と名づけ、邸址には碑石を建て功績を永久に伝えることになった。
現在の祇王井川は妓王の願いにより清盛が造らせたこの地方の灌漑用川である。」

境内の庭には3基の供養塔が立つ。妓王、妓女、母刀自それぞれの供養塔であろうか。

現在はご住職がおられない。
最初に訪れたときは、山門が閉じられているので外からの写真だけを撮って帰った。後日、どなたか管理されている方がおられると知って再び訪ねた。近くに犬の散歩で通る人を見かけ、声をかけた。自治会の役員さんが管理されていると、その役員さんの家まで案内していただいた。管理の方が私ひとりのために鍵を開け、仏間で説明までいただいた。
三度目の訪問はちょっと勝手を知っているので、寺の近くで畑仕事をする男性に声をかけた。作業の手を休め、自転車で鍵を取りに戻ってくれた。恐縮である。自治会役員さんが持ち回りの当番で案内役を担当しているという。みなさんが『平家物語』や「妓王」の勉強もされているらしい。みなさんなかなかのガイド役になっておられる。だけど、お仕事もお持ちだから、ご苦労なお役目、やっぱり事前に連絡する方がよろしい。

妓王寺から少し歩くと、「妓王屋敷跡」がある。木立の中に大きな石碑が立つ。妓王寺の説明にもあったが、この辺りの人々は「深く妓王の恩沢」を今も感じておられるのだろう。

そういえば、集落界隈には「妓王」と名を付けた幼稚園や小学校や銀行や郵便局や酒屋さんやレストランまである。妓王が大切にされている。

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