矢 橋

草津市矢橋

『万葉集』に、

近江のや 矢橋の小竹を 矢はがずて まことありけむや 恋しきものを   巻7−1350

万葉集にも詠われた矢橋は、遠い昔から港町であったようだ。

大津宮のあった港から矢橋の港へ、天智天皇、額田王たちが舟で渡ったのは、天智七年五月五日、蒲生野でおこなわれた薬狩りの日だった。

湖周道路に架かる橋の上からの写真であるが、この橋は矢橋帰帆島という人工の島に架かる橋だ。

江戸時代、歌川広重の描いた「近江八景」には、この橋も島ももちろんない。

広重とはかなり趣きの異なる風景が広がる。写真の正面奥が当時の矢橋港である。

当時を偲ぶ矢橋港跡の石垣と常夜灯が残る。

10年余前には青々とした松が立っていたのだが、今はマツクイムシにやられてしまったのだろうか、枯れ松になってしまった。

矢橋街中の案内板に「矢橋道」の紹介がある。

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矢橋道

近江八景矢橋帰帆で著名な矢橋の渡しへの道で、東海道の脇道であった。勢田橋経由の陸路にくらべ、矢橋港から湖上50町ほど(約5,5km)の

大津への航路は、「勢田へ回れば三里の回りござれ矢橋の舟にのろ」とうたわれたように、先を急ぐ旅人が重用するところとなり、これにつれて矢橋

道も大津への短捷道として往来が激しくなった。道は、東海道筋の矢倉・姥ヶ餅屋角で東海道と分かれ、大塚・川ノ下を経て、矢橋に至った。

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矢橋は、『今昔物語集』にも登場する。

「近江国矢馳の郡司の堂供養の田楽に語」

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草津 矢橋

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